太原で傅山と会う

 

鷲野 正明

 

 平成239月1日から12日まで学生を引率して初めて太原を訪れ、「作詩交流セミナー」を開催した。セミナーでは以下の3つの目標を立てた。

              1)これまで学んできた中国語のレベルを向上させ、実践的に駆使する

              2)史蹟・詩蹟を見学して、感動を「漢詩」で表現する

              3)創作した「漢詩」を毛筆で書く

 セミナーの全般的な報告は別途「山西大学学術交流セミナー報告」に詳しく記したので省略するが、個人的には明末清初の文人・傅山(16061684)の遺跡や石碑をできるだけ多く訪ねることを目標としたので、以下にその報告をしたい。

セミナーでは幸い公私にわたって我々の面倒を見てくれた堀川英嗣氏が傅山の研究者であり、一見旧知の如く傅山の話題に花を咲かせることができた。氏の案内もあって、研修場所では石碑を探し回る手間が省け、はなはだ効率的であった。

 今回見学できた傅山関係の場所は以下のようである。市内では

   文廟(石碑)、文瀛公園(石碑)、純陽宮(石碑)、清真古寺(石碑)、碑林公園

など。碑林公園は新しく造られたものであるが、半分以上は傅山の碑で、一覧するには便利だった。郊外では

   晋祠  ― 傅山記念館があり、書軸や版木が展示してある。小院には傅山像も設置。また名泉「難老」の匾額、雲陶洞の対聯などがある。

   多福寺 ― 崛圍山にあり、傅山読書の處=紅葉洞、藏経楼下の外壁に傅山の墨跡

が残っている。

   竇大夫祠 ― 傅山隠棲の住居。残念ながら門が閉まっていて入れなかったが・・・

晋嗣は、太原市の西南25q、懸甕山の麓にある。「雲陶洞」は傅山が隠居していた所で、山の斜面の階段を上って行くと晋祠の全域を見渡せるところにある。洞の入り口に傅山の対聯が掲げてあり、「日上山紅赤懸靈金三劔動 月來水白眞人心印一珠明」と書かれている。市内の碑林公園にももちろん模刻された碑がある。この対聯を見ての拙詩。

     晉祠雲陶洞 有傅山對聯 九月六日 晉祠雲陶洞 傅山の對聯有り

緑樹摩天浄域雄  緑樹天を摩して浄域雄なり

泉流穿地玉玲瓏  泉流地を穿ちて玉玲瓏

雲陶捜得明珠句  雲陶 捜し得たり 明珠の句

忽入眞山情趣中  忽ち入る 眞山 情趣の中

 晋祠は地下からわき出る晋陽第一泉「難老泉」で知られる。今は水道の水を使っているようであるが、その井戸の上に掲げられている匾額「難老」も傅山のもの。二句目「泉流地を穿ちて玉玲瓏」は泉にちなんだ。四句目の「眞山」は傅山の号である。

 「難老泉」には、晋祠を詠った有名人の詩碑が壁にはめ込まれている。郭沫若の詩碑や、今回のセミナーの2日目(9月2日)に特別に、奇跡的に、自宅でお会いできた姚奠中氏(99歳)の詩碑もある。

   

      傅山の像                     雲陶洞と対聯

 

説明: 難老額.jpg    

   「難老」匾額          郭沫若詩碑            姚奠中氏詩碑

 

多福寺は、太原市の西北24qの崛圍山の頂上にある。崛圍山は傅山ゆかりの地で「青羊庵」などの遺跡が多く残る。今回は多福寺のみの見学であったが、傅山が隠棲した「紅葉楼」「紅葉洞」が保存され、藏経楼下の外壁には傅山の墨跡が残っている。

     

   紅葉洞              紅葉洞の中           壁に書かれた傅山の書

 

多福寺の門を入った左側の木に、大きな籠のような鳥の巣があった。鳴き方飛び方からカササギのようだった。学生たちは境内にいた犬と戯れていたが、独り遺跡を見て

     多福寺 九月五日 多福寺

小狗狎遊境内中  小狗狎れ遊ぶ 境内の中

鳥鳴樹上一巣籠  鳥は鳴く 樹上 一巣の籠

將殘壁面墨香跡  將に殘せんとす 壁面 墨香の跡

正是眞山手跡巧  正に是れ眞山手跡の巧

竇大夫祠は、太原市から20q、崛圍山の麓の上蘭村にある。傅山は7歳から15歳まで上蘭村の家塾で勉強し、後年ここに隠棲した。門が閉まっていて中に入ることはできなかったが、祠内の右側には傅山の「虹巣書斎」があるという。竇大夫祠の前の路は汾水に沿い、対岸には「烈石山」を望むことができる。汾水には水が全くなかった。

     訪竇大夫祠不能入 九月五日 竇大夫祠を訪ぬるも入る能はず

   上蘭村裡大夫祠  上蘭村裡 大夫の祠

   只見墻中高樹枝  只だ見る 墻中 高樹の枝

   門近汾河無水岸  門は近し 汾河 水無きの岸

   鳥啼烈石起風時  鳥は啼く 烈石 風を起こすの時

純陽宮を最初に訪れたとき定休日で入ることができなかったが、後にはゆっくりと散策することができた。竇大夫祠もいずれゆっくり心ゆくまで楽しむことができることだろう。

   説明: 山西大学学術交流 086.JPG

        竇大夫祠                    烈石山

傅山は、文人・書家としてだけではなく、医者や拳法家としても尊ばれ、太原の人々に大切にされている。書店に入ると傅山関係の書籍が平積みされるほど研究も盛んである。今回のセミナーで見た傅山ゆかりのモノはほんの少しだけであったが、日本で活字を読んでいるだけでは味わえない「文人の香り」に触れることができた。

太原の人々は、みな親切でやさしい。李星元先生から贈呈された書「遊於藝」(出典は『論語』述而)を体して、これからも折を見て太原に遊び傅山と会ってみたい。

昼の12時から2時まで昼寝をとる習慣がまだ残る太原、やみつきになりそうだ。