※ 「今月の衛星画像」 2017年のテーマは 北緯40度線をたどる旅 です ※
Vol.19-12 2017年12月号
「北緯40度東端の地 普代村」
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「今月の衛星画像」で使用したデータの中には、「研究利用目的配布」で購入したデータが含まれています。
ADEOS衛星の場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団です。MOS,MOS-1bの場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団です。
LANDSATの場合、データ所有は米国政府、提供はSpace Imaging(R)/宇宙開発事業団です。またLANDAT8画像については産総研のサイトも利用しています。
SPOTの場合、COPYRIGHT CNES、提供はSPOT(R)/宇宙開発事業団 です。
また、メリーランド大学やUSGSのアーカイブデータを使用することもあります。
2017年のテーマは、「北緯40度線をたどる旅」です。衛星画像を使って、日本の湿地を見てまわりましょう。
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北緯40度線をたどる旅の最終回は,岩手県普代村です.今回は,ここにある防潮堤と水門の話です.東日本大震災後,巨大防潮堤の建設が続き,賛否両論さまざまに論じられています.100年に一度程度の頻度で襲ってくる津波のために,建設後にメンテナンスしなければ意味のない強大な防潮堤を建設することの意義が問われています.普代村の村長だった和村幸得(わむら こうとく)は,10期40年(1947-1987年)にわたり村長を務めた人です。彼は,過去の大震災・大津波で多数の被害者(1896年の明治三陸地震で302名、1933年の昭和三陸地震で137名の犠牲者)を出した苦い経験を踏まえて,普代村に防潮堤と水門の建設を進めました.それは,太田名部防潮堤(おおたなべぼうちょうてい 15.5m 全長155m 1967年完成、総工費 5837万円)と水門(普代水門 ふだいすいもん 高さ15.5m 全長205m 1984年完成 総工費35億6000万円)の建設として知られています.15.5mの高さは,過去の津波高を参考にしたと言われています. 2011年3月11日の東日本大震災では,この巨大建設物は見事に役割を果たし,普代村では津波による死者がありませんでした.大震災後,普代村では彼の顕彰碑がつくられたそうです.岩手県田老町では,世界最強と言われた防潮堤が津波で破壊され,多大な被害を出しました.普代村,田老町ともに,過去の津波被害を教訓にして建設された防潮堤であったわけですが,その明暗を分けたのはどのような理由があったのでしょうか. 普代村の防潮堤,水門に関しては,「前へ進もう ふだい 」という,30分の動画がウェブ上にあります. https://www.youtube.com/watch?v=o8zmOQwkwJQ |
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地図1 大正3年発行の1/5万地形図 陸中野田の一部 スタンフォード大学のマップコレクションによる |
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画像1 2017年のSentinel-2 衛星の画像 | |||||||||
画像2 Google earth で見る普代水門と太田鍋防潮堤 | |||||||||