※ 「今月の衛星画像」 2022年のテーマは 世界の都市 です ※
Vol.24-06 2022年06月号
「ハノイとホーチミン」
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ADEOS衛星の場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団です。MOS,MOS-1bの場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団です。
LANDSATの場合、データ所有は米国政府、提供はSpace Imaging(R)/宇宙開発事業団です。またLANDAT8画像については産総研のサイトも利用しています。
SPOTの場合、COPYRIGHT CNES、提供はSPOT(R)/宇宙開発事業団 です。
また、メリーランド大学やUSGSのアーカイブデータを使用することもあります。
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1945年,ベトナムは 80年におよぶフランスによる支配から1945年独立した.しかし,フランスは再支配をはかり第1次インドシナ戦争が勃発した,1954年に締結されたジュネーブ協定で,戦争は終わったものの,ベトナムは南北に分断されてしまった. 北部では北ベトナムとよばれた社会主義政権の国が,南部では南ベトナムとよばれた国が成立したが,南ベトナムでは1960年頃から内乱状態となり,これにアメリカ介入して第2次インドシナ戦争(ベトナム戦争)が始まる.長い争いの後,1975年4月に解放勢力と北部の正規軍の総攻撃により南ベトナム政権は崩壊しアメリカ軍も完全に撤退せざるを得なくなった.これによって南北は統一され,1976年7月にベトナム社会主義共和国が発足した.今月取り上げたハノイとホーチミンは,南北の代表的な都市であり,行政的には省に属さない中央直轄市となっている. 北部のハノイは北部最大の都市であり,首都で政治と行政,文化の中心地である.市域はホン川デルタの中心部に位置し,市街は河口から約150km上流の右岸に広がる(画像1).近年人口の増加が著しく,南部から西部にかけての郊外地区の発展がめざましい.北部の交通の中心地でもあり,放射状に延びる道路や鉄道により(画像2),国内主要都市のほか中国やラオス方面とも結ばれる.市の北部に国際空港がある.2019年の人口は約805万人. 南部のホーチミンはベトナム最大の都市で,経済の中心地である.1975年まではサイゴン Saigonと呼ばれていた.メコン川デルタの北東に続くドンナイ川デルタにあり市中をサイゴン川が流れる(画像3).市中にはフランスによる統治時代の建物が多く残っているが,高層ビルの立ち並ぶ近代的な街でもある. ホーチミンははまた,19世紀後半~20世紀前半にはフランス領インドシナの商業,軍事の中心地であった.ベトナムが南北に分断されていた 1954~75年の間は南ベトナムの首都であった.肥沃なメコン川デルタを背後に控え,もともと農産物や水産物の集散地として商業的色彩の濃い都市であったが,現在社会主義政権のもとで生産都市に脱皮しつつある。南シナ海からサイゴン川を約 100kmさかのぼった市の港は大型船舶が入港できる同国の重要な商港である.北西郊にはタンソンニュット国際空港(画像4)がある。2019年の人口は,899万人. 本文は,ブルタニカ百科事典(一部引用),ウィキペディアを参考にまとめました. |
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地図1ハノイとホーチミンの位置 |
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画像1 ハノイ市と周辺地域 2022年5月取得, SENTINELの画像 (RGB:432) |
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画像2 ハノイの中心地域 2022年5月取得, SENTINELの画像 (RGB:432) | |||
画像3 ホーチミン市と周辺地域 2021年12月取得, SENTINELの画像 | |||
画像4 ホーチミン市の中心地域 2021年12月取得, SENTINELの画像 | |||