※ 「今月の衛星画像」 2017年のテーマは 北40度線をたどる旅 です ※
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Vol.19
−09    2017年09月号

丹東と新義州、水豊ダム

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ADEOS
衛星の場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団です。MOS,MOS-1bの場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団です。
LANDSAT
の場合、データ所有は米国政府、提供はSpace Imaging(R)/宇宙開発事業団です。またLANDAT8画像については産総研のサイトも利用しています。
SPOT
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   今月の北緯40度は、中朝国境の町タントン(但東)市と新義州(シンウィジュ)市です。中国と北朝鮮の国境はヤールー川(鴨緑江)で、丹東市の対岸には朝鮮民主主義人民共和国のシンウィジュ(新義州)があります。丹東市は人口70万人ほど、新義州市は約30万人ということです。鴨緑江には中朝友好橋が架かり、中朝交通の要衝となっています。よくテレビニュースで出てくる橋のことでしょう。鴨緑江は、白頭山の東麓の源流があり、国境をながれて黄海にそそぐ川です。全長790km。流域面積はおよそ7万km2で、その半分弱が北朝鮮にふくまれています。
 この川は、水豊ダムがあることでも知られています。このダムは、朝鮮半島が日本の統治下であった1937年に満州国と朝鮮の電力確保のために建設が開始されました。その場所は、新義州市から80km地点の当時の日満国境(現在は中朝国境)でした。湛水面積は日本の琵琶湖のほぼ半分に相当し、1944年3月水豊水力発電所と共に竣工したといわれています。発電所で使用する発電機7台を作るために、当時の東京芝浦電気は新工場をつくったということです。
 このダムの建設に関しては、広瀬貞三(2003)が 1:満州国における水豊ダム建設計画がどのように提議され、総督府との関係がいかなるものであったか、2:満州国が水没予定地住民へどのような対応が行われ「北満」移住がどのようにおこなわれたか、3:水豊ダム建設に動員された労働者がどのように集められ、いかなる労働条件にあったか  などを目的に詳細に調査しています。3に関しては、この巨大プロジェクトでも、日本はこの地域の人たちに劣悪な環境での労働を強いていたことが明らかにされています。 広瀬貞三(2003)「満州国」における水豊ダム建設、新潟国際1青報大学情報文化学部紀要。

以下は、ウィキペデアからの引用です。
「1945年8月9日、ソ連軍の侵攻により、7基の発電機のうち5基を略奪された。略奪された発電機は、カザフスタン共和国、イリティッシュ川(エルティシ川)上流のダムで確認されている。
朝鮮戦争中に雷撃を含む、アメリカ軍機の攻撃を受けたが、ダム構造が堅牢であったため決壊を免れた。ただしこの攻撃で北朝鮮では発電能力が激減し一時、広域にわたって停電した。休戦後に北朝鮮は発電能力を増強して復興した。新しく設置された発電機7基のうち、3基は朝鮮向けの60Hz、3基は北京向けの50Hz、1基は50Hz、60Hzどちらでも発電可能な物である。竣工から60年以上経過した現在もダム本体は大きな改修工事が行われず現役であると思われ、現在も北朝鮮の重要なエネルギー源の一つである。なおダム湖は中朝国境となっており、北側は中国領である。」

      
   地図 画像1〜3の範囲(枠内)
 
 
    画像1 中朝国境を流れるヤールー川(鴨緑江)  下流から1/2ほdさかのぼったところにあるのが水豊ダム   2017年06月05日  432+8  
  
   画像2 ヤールー川(鴨緑江)河口
  
画像3  水豊ダム 
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