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VOL.13-03  2011年03月

シリアの鉄道

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 鉄道好きとしては、旅先でどうしてもしてみたいのが「汽車旅」です。しかし、それを目的にしないかぎり時刻表さえ事前に入手できない国ではなかなか想いはかないません。今月の写真は、なかなか汽車旅が実現できない国の一つ、シリアで撮った何枚かの鉄道関連写真をお見せします。先日テレビで旅番組を見て、そういえばシリアで撮った「汽車」の写真があると思い出したことがきっかけです。
 ダマスカスの街中に存在感のあるビルがあります。「ヒジャーズ駅」です(写真1)。オスマントルコ帝国が、聖地メッカ巡礼のためという表向きの理由で敷設した鉄道がヒジャーズ鉄道です。ダマスカスを出た列車は、アラビア半島のメッカの近くのメディナまで1300kmを3日間で結んでいたといいます。しかし、わずか10年ほどでその歴史を閉じたのは、アラビアのロレンスなどによる破壊活動があったためで、それ以降一度もこの鉄道でシリアとサウジアラビアがつながったことはありません。かなり前にヨルダンで撮影した廃線の写真は今月の衛星画像で載せたことがありました。
 さて、現在のヒジャーズ駅には切符を買う窓口はあるものの、鉄道は通っていません。駅前には当時使われていた「汽車」が展示されています(写真2)。駅の中へはいると本屋が店を出しており(写真3)、私はここでシリア全土が一枚になった地図を買いました。売っている本は挿絵を見ると読み物が多いようです。「ヒジャーズ駅の二階は回廊になっており、古い鉄道写真が展示されている」とある方のブログに書いてありますが、私が行ったときにはそのようなものは見あたらなかった気がします。見逃したのなら、惜しいことをしました。ついでに書くと、街中の文房具屋では等高線の入った「地形図」が手に入りました。これには少し驚きました。何かと締め付けが厳しい国なのに、ずいぶん緩い部分があるのはなにはともあれうれしいことです。
 ダマスカスは、古い建物や歴史的な建物があって何時間でも見て回れるところです。歩き疲れてふと目を下に向けると道路にレールが敷かれていました(写真4)。かつてはこの街に路面電車が走っていたようです。泊まった安ホテルの売店に路面電車の写った古い絵ハガキが置いてありました。買い求めたつもりでしたが手元になくご披露できないのが残念です。
写真1 ヒジャーズ駅を正面から見る
右側のカンバンの陰に機関車が展示されています。

写真2 ヒジャーズ鉄道で使われていた機関車
白いペン字で描かれたものが、ヒジャーズ鉄道のロゴ。

写真3 ヒジャーズ駅のエントラン 写真4 ダマスカスの市内で見かけた路面電車の痕跡
 シリアの国鉄は、ダマスカスを拠点に、ほぼ全土を結び庶民にとっては便利な存在だそうです。ただ私は、急いで地方へ行かねばならなかったので、ホテルで手配してもらった車を雇って田舎へ向かいました。その車中から撮った写真が何枚かあります。砂利道の向こうに見えるのは踏切です(写真5、6)。遮断機を上げ下げする係員が二人、日陰で腰掛けていました。次に通りかかった踏切では、すぐ脇に黄色の物体が置かれていました。たぶん保線用のトロッコでしょう(写真7)。踏切を通り過ぎるときに、少し離れた場所に停車場がありました(写真8)。別の踏切で係員に止められました。列車が通るなと、急いで車を降りました。案の定すぐに目の前をかなりのスピードで赤いディーゼル機関車が通り抜けてゆきました(写真10、11、12)。編成の短い貨物列車です。ユーフラテス川の下流から西を目指して走ってゆきました。
写真5 踏切 写真6 踏切
遮断機は人力。係員が二人、建物の陰にたたずむ
 写真7 違う踏切で見た保線用のトロッコか? 写真8 踏切の先に停車場
写真9 ラッカ近郊の踏切で
遮断機を下ろす時間がなかったので、警手が車を止める
写真10 悠然と走り去ったディーゼル機関車
韓国製か?
写真11 機関車を側面から見る
作りは安っぽいがそれなりの迫力
写真12  去りゆく貨物列車
牽引されていたのはタンク車でしょうか
20078月 長谷川均撮影)
                                           

                                              

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