※ 「今月の衛星画像」 2005年のテーマは 道 です ※

Vol.7−01   2005年01月号

「バグダッドへ続く道 ヨルダン、アンマンからイラク、バグダッドへ 

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 アンマンからバグダッドへ向かう国際道路の大半は砂漠を通る(図1,画像2)。道はイラク国内へ入ったとたん、車線が広くなり整備状況も良くなることから「国の格が違うんだなぁと思う」とどこかで誰かが書いていた。油の出るイラクと出ないヨルダンの差は、隣り合うだけにいっそう際だって見えたのかもしれない。国の格がそうかどうかは別の話だが、ヨルダンとイラクの関係は外務省奥参事官の「イラク便り」の記述にわかりやすく書いてあるし、ジャーナリスト田中宇さんの「イラクを狙うヨルダン王室。【田中宇の国際ニュース解説】」記述も実に的確だとおもう。2003〜4年にイラクで亡くなった5人の日本人は、いずれも一度はこの道を通っている。奥参事官もこの中のひとりだった。
 アンマンからバグダッドは直線距離で約800km。ヨルダンから国境を越えると、アンマンからやってくる外国人や報道関係者を狙った強盗団や武装勢力を避けて、車は150kmで疾走しバグダッドへ向かうという。それでも追いつかれ、つかまってしまったというのが勝谷誠彦さんの体験である(勝谷誠彦の××な日々「 2004年イラクの旅・4日目。危うく銃口を逃れる。 
 アンマンは標高800mほどの台地の上に位置する。人口120万人ほどのこの都市は、第2次世界大戦後にヨルダンの発展や中東戦争によってもたらされたパレスティナ難民の流入などによって飛躍的に拡大したというが、地形的には都市域が広がる余地は旧市街地にはもはや無く、台地の外側の砂漠へむかう方向に新市街地が拡大している(画像1)。流入した難民のキャンプも砂漠に近い東側にある。
 1970年、PLO(パレスティナ解放機構)とヨルダン政府がアンマンで戦い、街は大きな損害をうけたというが、現在では「中東で最も旅行のしやすい国 」の首都として多くの観光客を迎え入れている。しかし、多くの難民を抱えるこの国は、 隣国の治安情勢の悪化等による様々な影響を受ける可能性がある国にかわりはない。

 アンマンはシリアに向かう国際列車や、シリアやイラクなど隣国にむかうハイウェーの出発地でもある。バグダッドへ向かう道はシリア砂漠を横断する。道沿いにはたくさんのワジがみえ(画像2)、年降水量20mmm以下の荒涼とした世界が続く。ユーフラテス川の流域にはいると周囲は緑があらわれ(画像3)、程なくバグダッド市内へと入って行く(画像4)。この間、約一千キロの旅である。
 ※画像中のスケールはおおよその値です。


図1 位置図  アンマンからバグダッドは直線距離で約800km。
画像1 ヨルダン最大の都市で首都のアンマン(画像中央)は、死海の北東40kmほどのところにある。死海は標高-400mだが、アンマンは標高800mほどにあり、七つの丘をもつ都といわれている。アンマンは現代と古い昔が入り混じり、古代ローマ時代の劇場を取り囲んで近代的なビルが立っている。アンマンの東はすぐにシリア砂漠につながる砂漠になる。2002/03/08、RGB342。
画像2 シリア砂漠、ヨルダン国内のバグダッドへ向かう道。上の地図で、「ヨルダン」のヨの字のあたりに相当する。
1990/08/31、RGN342。
画像3 画像の東端がバグダッド。ユーフラテス川(左)とティグリス川(右)の流路に沿って植生がみられる。2001/3/18、RGB342.
画像4 バグダッドの拡大画像。2000/4/25,RGB342..市域を縦断するのはティグリス川。より解像度の高いイコノス画像は次のサイトで見ることができる。http://www.spaceimaging.com/。また、バグダッド市内の地図は、http://www.lib.utexas.edu/maps/middle_east_and_asia/baghdad_inset_2003.jpg。を参照してほしい。


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