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VOL.15-04  2013年04月

  インド・ヴァラナシ(Varanasi)

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 ヴァラナシ(Varanasi)はガンジス川中流部に位置するヒンドゥー教の聖地で、 人口 123万人(2001年)の都市である。ここは、紀元前6~5世紀頃には、十六大国のひとつカーシー国の首都として、政治、経済、文化の中心地であった。  町の名称は、北部を流れガンジス川に合流するヴァラナ川( Varana River)と南部を流れるアシ―川(Asi Stream)にはさまれた所に位置していること ”Varanas + Ashi ” (ヴァラナシ)に由来するといわれている。  その後、イスラム教徒のカズナ朝(11世紀)の時代にはウルドゥー語流の発音でバナーラス(Banaras)、イギリス東インド会社領に併合(1794年)されるとベナレス(Benares)に変更された。 1947年、インド独立後に旧名が復活してVaranasi(ヴァラナシ、ワーラーナシー)となり、今日に至っている。  バナラスという名称は、バナラス・ヒンドゥー大学、バナラス・パンチャクロシ・ヤートラ など今日でも使われている(注1)。

 主たる産業は、伝統的な家内工業としての絹織物・手織りのサリーの生産、真鍮容器の製造、近代的な工場としては国営のディーゼル機関車製造工場などがある。 ヴァラナシは、ヒンドゥー教七聖都のひとつで、市内にはヴィシュワナート寺院などヒンドゥー教の寺院・聖地が約3,300ヵ所、イスラム教のモスク・聖地が1,338ヵ所ある。 こうした寺院・聖地などを訪れる参拝者・巡礼者・観光客は年々増加している。 年間来訪者は、1990年には12.6万人であったが、2007年には295万人(内訳:国内255万人、国外40万人)に増加している。  海外からの来訪者は、1980年代にはアメリカ、イギリスが多かったが、2000年代に入ると日本、フランスが増加している。 2006年の場合でみると、日本からの来訪者は35,490人で最も多い。 来訪者の増加に伴ってホテル、レストラン、旅行社など観光関連のサービス業の発展もみられる。(注2)。 ここでは、旧市内の路地(Galis)、ヴァラナシで行なわれる巡礼、郊外の現状などを紹介したい。

1)路地
   旧市街には、多くの路地(Galis)がある。そこは交通路であるとともに商いをする場であり、生活をする場でもある。  路地には、牛もいる。 道端に牛の餌と思われる野菜の切れ端が置いてあることもある。

   

写真1 ヴィシュワナート寺院への裏道

    写真2 路地を走るサイクルリクシャー。 旧市街からガートに向う道で
観光ガイドは正面の参道から入れるが、タクシーの場合は、正面に車を停めることはできないとのこと。 タクシーの客は、いわば裏手から入ることになる。 この路地はそのひとつ。 幅2.0~2.5mの路地の両側には、みやげ物店、生活用品を扱う店、祠などがならんでいる。  撮影者が訪れた日、路地入り口から10分ほど歩いて寺院に近づくと、そこはもう身動きができないほどの大勢の参拝者であふれていた。 その真剣なまなざしにも圧倒され、やむなく引き返す。    

2)昼下がりのガート
  ガート(Ghats)とは、岸辺から川面あるいは池の水面に向って作られた階段。階段状につくられているので水位の上下に対応できる。 ガートは、全体で84ヵ所、この内火葬が行なわれるのは2ヵ所である。ガートというと大勢の人が押し寄せている写真などをよく見かけるが、昼下がりのガートは静かである。 中央部より幾分北にあるガート(マニカルニカー)では火葬が行なわれており、南寄りの別のガートでは、洗濯したシーツなど広げられている。

   
写真3  バラモンと信者 写真4  牛はどこにでも
バラモンの教えを聞くだけではなく、時には問いを発することも。

3)バナラス・パンチャクロシ・ヤートラ 
   バナラス・パンチャクロシ・ヤートラとは、ヴァラナシの旧市街地にあるひとつの寺院で巡礼開始の儀式を行い、スタート地点となるガート(マニカルニカー)に移動、その後ガンジス川に沿った道を5~6km南下、そこから西に折れて約20km、 そこを北に向って約23kmほど進み、そこから東に向い出発点までもどる巡礼である。 この時計周りの巡礼は、距離88.5km、寺院および礼拝個所108ヵ所、宿泊所5ヵ所、所要日数6日間である。  この巡礼については、16世紀の資料にコース、ルールが記載されている   とのことである。 今日では、全行程を歩く場合と乗り物を利用して1日でまわる場合がある(注3)。

   
 写真5 カルダメシュヴァ―ラ(Kardamesvara)寺院    

写真6 宿坊屋上から見た寺院

カルダメシュヴァ―ラ寺院は、最初の宿泊地点にある寺院である。 寺院の起源は、6~7世紀まで遡ることができるようであるが、現存の建物の大部分は、12~13世紀に建設されたものである。 この日は、月曜日で女性のみの礼拝が行なわれていた。  バナラス・ヒンドゥー大学からこの寺院にいたる巡礼路の両側は、大部分が既に住宅地化されている。     手前のガートは、水が汚れているので中には入れない。巡礼者は、手で水を2、3滴すくって体にかけるだけである。
写真7 宿坊の一角
   
この写真には写っていないが、中庭には世界銀行の援助で作られた手押しポンプの井戸がある。   

4)ヴァラナシの郊外
   撮影地点は、既成市街地の南西にあたる地区である。 農地に隣接して新しく建てられた家屋は、レンガ造りが多いが、新建材が使われている場合もある。

写真8 稲の脱穀作業
カルダメシュヴァ―ラ寺院から車で3~4分のところにある農家の畑での脱穀作業。 かつて日本でも足踏み脱穀機が使われていたが、ここでは手で胴を回転させる脱穀機が使われている。 作業をしているのは家族ぐるみで移動しているような季節労働者、全体で15人位がそれぞれの作業をしている。 この農家の経営規模はおよそ10ha。 稲の他にサトウキビ、桑、ジンジャー、ジャガイモなどが栽培されてる。 


注1:寺院、地名等をローマ字表記する場合、「-」、「’ 」、「~」等の補助記号があるが、ここでは全て省略してある。
注2:ヴァラナシには、巡礼者用宿舎(ダラムシャーラ)をはじめ、低料金で泊まれるホテルから高級ホテルまでさまざまな宿泊施設がある。  宿泊施設の増加が顕著な地区は、旧市街地の北部にあるカントンメント(かつてのイギリス軍の兵営地)である。 1980年代、この地区の主要なホテルは4軒であったが、現在は11軒に増加している。 民間の旅行社の開設も新しい傾向である。 最近インドで発行されたヴァラナス・サールナートの案内書(地図)には、政府観光局のほかに民間の旅行社60社が掲載されている。 昨年改装された空港は、規模が拡大され、最新の設備が導入されている。 アクセス道路も整備されている。
注3:バナラス・ヒンドゥー大学のRana P. B. Singh教授は、全行程徒歩の人を ” foot-pilgrims ”、 乗り物を利用する人を ”pilgrimage-tourists ” と して区別している。1996年6月17日-7月15日の調査結果によると、巡礼者総数48,200人、内全行程徒歩23,136人(48.0%)、乗り物利用者25,064人(52.0%)である。

参考文献
辛島昇他監修:南アジアを知る事典,平凡社,2006年.
Gautam Jain(ed) : International Destination Guide to Varanasi & Sarnath. International Publications The Map People,2011.
Rana P.B.Singh and Pravin S .Rana : BANARAS REGION A Spiritual & Cultural Guide, Indica Books, 2006.
Rana P.B.Singh : BANARAS, THE HERITAGE CITY OF INDIA Geography. History. and Bibliography, Indica Books,2009
Rana P. B. Singh : TOWARDS THE PILGRIMAGE ARCHETYPE The Pancakrosi Yatra of Banaras, Indica Books, 2011.


写真 2012年12月3日 名誉教授 長島弘道 撮影
                                           

                                              

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