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VOL27-09

2025年09月

  「ヨルダンの都市・ザルカ(Zarqa):その1

加藤 幸治

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  ヨルダンの首都・アンマンはパレスチナ難民の流入を契機とする人口増加とともに,その都市域を拡大し,隣接するルサイファ(Russeifa),そしてザルカ(Zarqa)と連担するコナベーションを形成している.ザルカはパレスチナ難民キャンプが初めて設置されたことでも有名である(ここまで,詳しくは『国士舘大学地理学報告』32掲載の加藤・長谷川・小原論文を参照のこと)

 とはいえ,あまり日本人の訪れることはない都市だといってよかろう.そこで,ヨルダンの一都市・ザルカの様子を複数回にわたって紹介したい.

 写真1は,ザルカの街の入口ともいえる場所にあるモニュメント.google mapではZarqa Gateと表示される場合もある(地図1の「ザルカ」と赤ピンの立っているところ).

 ザルカはヒジャズ鉄道(ヒジャーズ鉄道)の駅があった街(同鉄道については「今月の地理写真 2021年4月・ヨルダンの鉄道」を参照されたい).線路跡が残っている(写真2).ここは地図1のZarqa Station(閉業)とある地点とZarqa Gateの間.

 写真3はそれより南西の場所.地図1のAl Rawda Mosqueと表示のある付近から北西を向いて撮った写真.アンマン方面から来た列車がゆるやかに右カーブしながらのぼって行き,ザルカ駅に着く手前といったところ.右に壁が見えるが,この中が難民キャンプの区画.難民キャンプは街の中心部(地図1のZarqa Gateの北西部の彩色されたあたりが市街中心)の南の線路沿いに作られたことが分かる.

 写真4は難民キャンプ内.キャンプといってもテントが張られているわけではなく,普通のコンクリート造の家.一般の家と区別が付きにくいが,地図を見ると建物間の路地が細く・多い(地図1にも見て取れる).アンマンのHusseinキャンプなどでも同様である.土地面積の制約もあろうが,建物を密集させることで日陰を作ることも意識している,伝統的なアラブ建築(街づくり)の影響もあると思われる(写真5).

 写真6は難民キャンプと市街の境界付近(キャンプ地の縁)に形成されたスーク(市場,マーケット).ザルカの都市としての発展は難民キャンプの形成とも関係するとされるが,地理的にもそれが観察できるポイントだといえよう.

 その一角に改装または閉鎖中で,シートで目隠しされた建物があった.よく見ればシートはUNHCR(The Office of the United Nations High Commissioner for Refugees:国連難民高等弁務官事務所)のもの(写真7).ここが難民キャンプなのだということを実感させてくれた. 

(つづく)

   

写真1

   

写真2

   

写真3

   

写真4

   

写真5

   

写真6

   

写真7

   

地図1

 
   写真1~8:2025年3月31日,小山拓志 撮影)



                                              

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