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VOL.11-09  2009年09月

フロム鉄道の旅(4):ソグネフィヨルド・イン・ナットシェルの終点・オスロ

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4回続きのソグネフィヨルド・イン・ナットシェルの旅の最終回です.フロム鉄道の旅(1)(2)(3)も参照下さい.
写真1 写真2

 ノルウェーの首都・オスロ(Oslo).緑豊かな街である(写真1).人口は約65万人.オスロ都市圏全体でも86万人程度(2008年現在)である.
 日本の大都市に比べれば人口規模も大きくはないが,地下鉄も走る都市である.オスロの地下鉄はT-baneと呼ばれ,6路線で構成される.路線の形は「恐竜」型だと覚えればよいということが看板に描かれている(写真2;ややピンぼけです).
 オスロはオスロフィヨルド(Oslofjorden)の最奥部に位置している(写真3).「フィヨルドに位置するがゆえ天然の良港である」といいたいところであるが,オスロフィヨルドは地形学的プロセスからはフィヨルド(氷食谷内に海水が浸水してできた湾)とはいえないらしい.とはいえ,そもそもフィヨルドとはノルウェー語の「入江」のことらしいので,オスロフィヨルドの命名が「間違い」という訳ではない.

写真3 写真4

 いずれにしろ入江の最奥部という港としての優位性を生かし,現在も貿易港,国際線のターミナル港となっている(写真4).オスロからはデンマーク,ドイツ,スウェーデンなどへの定期船が出ている.写真5は国際定期航路のひとつ・カラーライン(Color Line).ドイツのキール(Kiel),デンマークのフレゼリスクハウン(Frederiskshavn)を結んでいる.

 私が訪れたとき,ちょうどオスロでは大型ボートのレース(パワーボートレース)が開催されていた.手前のヨットも,カラーラインの船も,いずれもレースを見物している様子であった(写真6).

写真5 写真6

 さて,オスロを訪れた日の夕方,オスロ中心部のカールヨハン通り(Karl Johans Gate;写真7)を歩いている時,ちょうど雷雨に見舞われた.最初は,周囲の人々も,私も,通り雨であろうと(写真7にあるように建物には庇(ひさし)がないので)建物に張り付く形で雨を避けていた.ところが,あまりの豪雨に多くの人が近くのオスロ大学構内に逃げ込んだ(写真8;構内から雨の様子を見る人達).雨だけでなく,雹も降る激しさであった(写真9;雷雨後,植え込みに残った雹).私は完全に「濡れ鼠」になりました.

写真7 写真8

写真9 写真10
 カールヨハン通りは写真7に見られるように窪地状になったところであり,あまりの豪雨に通りの店も水没し(写真10),膝下くらいの水が通り沿いの店の内部にも浸入していた(写真11).
 とんでもない水量のわりには周囲にいた地元の人々(と思われる人々)もさほど大騒ぎしている様子もなく,北欧の夏の雷雨はこんなものかと思っていたが,さすがにこの雨は異例らしく,水没したカールヨハン通りは警察によって規制線が張られ,進入禁止になっていました(写真12).

 少し前の出来事でしたが,その頃,日本には「ゲリラ豪雨」などという言葉はありませんでした.それが近頃では東京などでも,従来あまりみられることのなかった,こうした激しい雨が降るようになりました.これも(拙速に判断することはできませんが)地球温暖化の影響だといえるのでしょう.
写真11 写真12

<写真1~12:2001年8月,加藤幸治撮影>


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