このページは、地理学専攻卒業生のみなさんから寄せられたメールで構成しています。
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1998年1月30日 開設 最新メール:2011年01月13日 現在の書き込み件数:123
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2016年11月1日 高橋 誠 (1993年度卒業)
皆様、ご無沙汰しています。
1993年卒の野口ゼミ出の高橋誠です。
地理・環境専攻50周年おめでとうございます。
12月17日の集まりにはぜひ行って見たいのですが仕事が調整できるかが今のところ分からず、出席できるかはわかりません。
さて、私は現在もイヌワシの調査研究を続けています。
現在、研究仲間が書いている論文でスウェーデンのイヌワシの換羽に関する文献の翻訳できる方がいないかを探しています。
同じ1993年度卒の福田真理さんが2002年くらいまでスウェーデンにて初生雛鑑別師の仕事をされていたことから彼女に頼みたいのですが、連絡先がわかりません。
当時の実家等連絡先もわからない状況です。
今はまた海外で頑張っているのかな。
福田さん本人、もしくは知っている方は教えていただければ幸いです(本人に了承いただければと思います)。
個人情報だから今の時代なかなかうるさい世の中だとは思いますがどうぞよろしくお願い致します。
下記までご連絡いただければと思います。
高橋誠
makotaka@purple.plala.or.jp
2014年4月13日 安藤(山本)治代(2000年度卒)
2012年1月11日 トリウミ (1979年度卒業)
54年度卒業のトリウミと申します。7日(土曜日)、気象庁の外カク団体である気象友の会の招待で、レインボーブリッジ真下に停泊中の気象観測船「凌風丸」の乗船見学会に寒い中、行ってきました。この船は気象はもちろん二酸化炭素の観測、海水の観測等ができる船だそうです。私は 以前からCO2、工場自動車の排気ガス=地球温暖化に疑問を持っていたので、担当官に聞いてみたところ現在の科学では良く分からないとのことでした。900年前のメディーバル極大期(太陽活動のこと)には 今ぐらい暖たかかったらしく、5000年前の縄文時代には さらに2〜3℃高かったようです。以前、猛毒のダイオキシンとマスコミで、騒がれていたダイオキシン、結局、日本中、何処にも存在することが判ったらニュースにもならなくなりました。人間は50万年前から火を中心に生活しています。本当なら、ダイオキシンで人類は死滅しているはずですが!私の耳には誰一人死んだと言う話は聞こえてきません。何事も自分で調べた方がよいと思います。世の中は円高、円高とオオムがえしに言っていますが、去年、暮の十二月、ジム・ロジャース東京セミナ―に行ってきましたが40年間続いた円高もよいよ終りではないかと言っていました。円安になると40年間見たことがない景色が見えるかも知れません!数年前、アメリカ、サンマイクロのCEOが九州講演で我々が成功したのは「目標を持たないからだ」と言ったそうです。私も今年は「イイ加減」で行こうかと思っています。
2012年1月02日 トリウミ (1979年度卒業)
54年度卒のトリウミと申します。先日、23日、1年に1回の東大地震研究所の一般公開に行ってきました。毎年、盛大で、多くの方が見学に来ていました。特に、白いYシャツ、黒いズボンの中高校生が引卒の先生に連れられてきていたのが、目につきました。会場内には20〜30のブースがあり、自分の得意分野を写真、グラフ等を使って、説明してくれました。その中で、名札に私の得意分野は「液状化現象」です。と書いてあった院生に、縄文海進は何メーター海面が上がったのですか?と質問したところ、「100メーター上昇しました」と サラッと言ったには驚きました。(本当の答えは調べてください。)帰りは 銀杏並木の落ち葉を拾って近所の受験生に差し上げようかと思いましたが落ち葉の「落ち」の文字があまり縁起が良くないのでやめました。それでは、みなさま、良いお年を!
2011年01月13日 大宮 (1979年度卒業)
あけましておめでとうございます。10年前、この通信欄に アクセスした昭和54年度卒業のハンドルネーム大宮二等兵と申します。実名は 女房からネットは 非常に危険 と注意を受けたのでふせさせて頂きます。4日、我が家恒例の日本経済界のお祭り、東京証券取引所の大発会に娘と一緒に行ってきました。年々一般参加者が増え午前7時半には定員80人になってしまい2階の立ち見席から見るはめになってしまいました。帰りに兜神社でお参りをして、門を出たところでNHKテレビの取材を受け今年の日本経済の話をさせて頂きました。私は 40数年前から株価と太陽黒点の関係その他いろいろテクニカルを吟味した上での株価予想をしております。一概には言えませんが今年は上がるのではないかと思われます。しかし 太陽黒点を観測している方はご存じだと思いますが黒点が思うように上がりません。400年前のマウンダー極小期、200年前のダルトン極小期、そろそろ来てもおかしくないのですが!!・・・・・・ こういう話は チャンネル桜によくお出になられている我が母校出身の海上先生がくわしいのではないでしょうか ユーチューブで私も見ておりますがたいへんわかりやすく、おもしろいです。 話も長くなりました みなさまのご活躍をお祈りもうしあげております。 以上
2010年12月05日 伊藤惠喜 (1993年度卒業)
皆さんお元気でしょうか。平成5(1993)年度卒業の伊藤惠喜です。
ついに大台を越え、現在は眼の前に相模湾と、箱根や富士山を望む東海道線の国府津駅に勤務しております。
さて、少し前になりますが、11月13日に、久保田晃央君(内田ゼミ)の結婚式が長野県飯田市で行なわれ、不肖小生もお招きいただき、高速1000円の恩恵を受け行ってまいりました。
同期の野股正宏君も来ており、卒業式以来となる再会に、昔話の花も咲きました。当日は横浜でのAPEC開催のためものものしい警戒をしておりましたが、久保田君勤める喬木村は村長を先頭に式に参加され、役場は当番の方がおられるのみだったとか、実に平和で、久保田君のまじめな性格があらわれた和やかな結婚式でした。久保田君ととても可愛らしい奥様に、末永く幸多かれと願うばかりです。
卒業生や在校生、また諸先生方へも、ご健康とご多幸をご祈念いたします。それではまた。
2010年11月22日 氏名未記載
皆さん、ご無沙汰しています。元気にしていますか?相変わらず毎日忙しいです。
前に載せたメールアドレスは失効となりましたので、新しいメールアドレスを載せに来ました。
私とご連絡取りたい方は、是非お気軽にメール下さい。後輩の方で、金融業界、または金融系コンサルティング業界にもし興味を持ってる方が居れば、ドシドシメール下さい。インターンシップのご案内や、就職のアドバイスもしますよ。
foo.jinny@gmail.com
2010年2月22日 フー (2000年度卒業)
平成12年及び13年度卒業された方々へ
ご無沙汰しております!元気してます?以前長島先生のゼミに居たJ.Fこと、フ−と申します。地理学にたった一人の留学生でした.
在学中の時はヒップホップDJとダンサーをしたり、鶴川祭でダンスイベントをやったり、サークル迄作り上げましたので、結構目立っててかなり注目的だったと思いま
すが、私のことを知ってる方も多いかと思いますが….
実は私、また暫く海外(ニューヨークとシドニー)に転勤となって、一年前に日本に帰って来ました.相変わらず米系証券会社で勤めてます. また、通信教育でアメリ
カの大学院で金融工学の博士号後期を勉強してます.勉強はやはり大事って良くわかりました. 2ヶ月前に成田に着いた時、同期の卒業生と連絡したいと思いました.
東京はまだまだ寒いですね.皆は元気にしてますか?私は地理を卒業しましたが、全く地理を使ってなくて、本当に恥ずかしくに思います…
前に、若井先輩と、同期の友人(男性の方で、この前にタイに行った方)からメールを頂きましたが、パソコン不調で連絡先を無くしてしまいまして、申し訳御座いませ
んでした.もし若井さんとその人のことを知ってる方が居れば、是非私のこの掲示を転送して下さい!
これからも宜しくお願い致します. sheckler.rawks@gmail.com までメール下さい! (メールアドレスの @ は半角です ここでは全角で表記しています)
2009年6月12日 高橋 誠 (1993年度卒業)
先生、卒業生の皆様、在校生の皆様お元気ですか?
高橋誠です。
山形も梅雨入りです。野外活動本番なのですが何ともぐずった天気ですね。
本年より山形県環境審議会委員となりました。6月12日が初会議です。
自然環境保全、野生動植物保護、温暖化対策、土壌・大気・水質、温泉に関することなど、県の方針がこれらの会議で審議されるものです。
この会議に参画でき、議論できること、これは様々な地域課題や環境に関する分野を学ぶことができた地理・環境のカリキュラムや先生方のご指導によるものが基礎になっているのだと思っています。在校生の皆さん、新入生の皆さん、思いっきり学んでみてください。先生方からいろいろな情報を引き出し自分のものにしてみてください。今現在、地理・環境専攻で学んでいることが、いつ、どこで、活かされるのかわからないかもしれませんが必ず活かされます。楽しみを感じながら勉学に励んでください。
下記の三枝さんのメールにもありますとおり、OBで元非常勤講師 雪野 出(旧姓 斉藤)氏 が、2008/5/2にお亡くなりになりました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
2008年05月23日 三枝 茂 (1991年度卒)
三枝@WNIです
ご無沙汰しております。
中々世田谷に足を運ぶことが出来ず、申し訳有りません。
今週は台風4号の接近と暖湿流の活発化により、本州は大荒れとなりました。気象現象の経過を追いながら、顧客の防災対応について助言をしていく仕事は格別のものが有ります。以前の職場よりはプラス志向で仕事を進捗させることが出来、公私共々比較的充実した日々を送らせて頂いております。
さて、話は本題に変りますが、雪野(旧姓:斉藤)の訃報を昨晩に佐々木明彦さんより伺いました。急な知らせに驚きを隠せません。
同級生とは疎遠になっているので、訃報の連絡が想うに行かないもどかしさが有ります。
どうにか良い方法が無いかと思い、このページに行き着きました。可能であれば、訃報について掲示して頂けないでしょうか?
それとも、訃報の掲示は既にお考えになっていて、何らかの理由により止めたと言うのでしたらご容赦下さい。
土曜は夜勤明けになるので告別式には参列させて頂きます。
2007年12月10日 村松 篤盛 (1994年度卒業)
何年かぶりの投稿となります。みなさまお元気ですか。
さて、久しぶりにHPを覗いて見ると、長島教授が退職されるとのこと、すごく驚きました。
私は、長島先生をはじめ、先生方から多くのことを学んだからこそ今の自分があると思っているいますので、今回の知らせは残念で仕方がありません。
私は教職に就き、13年目(講師4年、教諭9年)となりました。生徒たちがいろんなことを探究していく授業をめざして、日々の教材研究に励んでいます。
単に知識を詰め込む授業ではなくて、考えさせる授業づくりを実践できているのも、大学時代に自らが教わったことが財産になっているからにちがいありません。
本当にありがとうございました。
私は長島ゼミではありませんでしたが、長島先生の退職記念講演に参加しようかと考えています。
部活動もあり、他の関係者との調整が必要なので、確実に参加できるか否かは未定ですが。
そこで、1994年度卒業の方で、どなたか参加される予定の方はいますか?
浜松出身のS君の結婚式以来みんなとは会っていないから、出会えると嬉しいのですが。
取り急ぎメールしました。失礼します。
2007年12月7日 高橋 誠 (1993年度卒業)
長島先生の退職記念の会があるようですね。出席できませんが先生には御教授いただきありがとうございましたとメールにて御礼申し上げます。
長島先生には資源管理論や地域計画論などの授業で様々な事例を紹介していただきながら授業を受けた記憶があります。
私の席は決まっていて階段教室の一番前の列の黒板よりのはしっこでした。大学生活の中で長島先生の授業が一番本と新聞、論文をを読んだなって気がしています。また、読んだ本や新聞、論文の内容が活用できたかなって気がしています。もちろん卒論は別ですけどね。
長島先生の授業はとにかく学生の「気づき」を引き出す授業でそれにより本屋や図書館などに走ることが重要でした。「気づかない人」向けではなかったと思います。
僕は長島先生の授業が今の地方での生活や仕事にいかされています。地域資源を活用した活動や地域活性化を考えたり、県民を代表する会議で活動する基礎的なものは上記に示した授業が受けられたからだと思います。
「気づきやきっかけ」を与えてくれた長島先生には感謝しております。そこからの応用は自分ですからね。
長島先生ありがとうございました。
2007年9月27日 土屋 真紀 (1997年度卒業)
みなさん、こんにちは。1997年度卒の土屋です。
現在私が働いております埼玉県鳩山町にある地球観測センターにて
9月29日(土)10:00〜16:00まで一般公開を開催することになりました。
今回は「地球環境」をテーマに、陸域観測技術衛星 だいち(ALOS)が
取得した画像をパネルにし展示もいたします。
是非お時間に都合の付く方は(多少遠いですが)遊びに来て下さい。
なお、最寄り駅は東武東上線高坂駅、当日は無料バスが駅西口より
20分間隔で運行致します。
詳細は http://www.eorc.jaxa.jp/event/2007/koukai/ev070905_01.html
皆様の来場をお待ちしております。
2007年6月18日 高橋 誠 (1993年度卒業)
6月に入り暑い日が続きます。東京も暑いですよね。先週東京に行き、国立科学博物館などへ行きました。時間があれば大学にもと思いました。しかし、残念ながら立ち寄る時間はありませんでした。今度お邪魔させていただきます。
話は変わって私の住んでいる山形県では荒廃した森林の手入れを全県的に進めるために「森林環境税」を導入しました。この4月よりスタートしました。一般人は県税に上乗せして1000円を負担することになりました。
この税金を資金に環境保全型の森づくりを各地で進める予定です。この税金活用に伴い、税金が適正に森づくりに反映されるかどうかを検証する機関として「やまがた緑県民会議」が知事の委嘱により県民から12名が選ばれました。
その一人として私が活動しています。山形県よりも先に他県でも「森林税」は導入されていると思います。各県の状況を知っている方がおられればアドバイスを御願いいたします。
荒廃した森林の機能を回復させることにより地球温暖化防止、野生動植物の保全、自然災害の防止など様々な機能が発揮されると思います。自然環境と人間の共存のためには適正な意見を発言していきたいと思います。助言等御願いいたします。
F.J さんの次の三通は、ご本人からの希望で削除しました(2007/5/24))。
2007年05月11日
2007年3月2日
2001年10月23日
2007年05月10日 岩崎 雄志 (2000年03月卒業)
こんにちは、2000年卒の岩崎です。
前回メールしたのは2002年だったので、5年もご無沙汰してすいません。
卒業してから同じ会社(SEやってます)に勤めていますが、1年周期で職場や業務内容が転々としています。
4月に異動があり、現在は携帯電話とカーナビを使って多彩なサービスを提供するシステムの運用保守をやっています。
ようやく地理に関連する業務に携わることができて、少々喜んでいます。
別プロジェクトで地図データや交通情報をカーナビのユーザに情報を提供するサービスの設計・開発をやっているので、そちらにも興味があります。
「自分の母校に誇りを持つ」ことは大事なことだと思います。
学生生活4年間の中で頑張れば、その結果は将来の大きな力になると思います。
遊ぶときは遊ぶ、勉強するときは勉強する。
自分は学生のときあまり勉強をしなかったことをちょっと後悔しています。
でも、国士舘の地理を選んだことは正しかったと思っています。
日産車をお持ちの方、ぜひCARWINGSを使ってください!
(宣伝ですいません)
2007年4月11日 伊藤惠喜 (1993年度卒業)
平成6年卒の伊藤惠喜です。前回のメールが6年前、すっかりご無沙汰です。
高橋誠くん(相変わらず頑張っている様子)のメールにもありましたが、出身大学うんぬんに関して、弊害になるのってせいぜい就職するときの資料請求と学閥のある組織で偉くなろうといったところではないのかなと。でも結構これって気になるものです。ただし、卒業後十何年たって自分が今こうなっているのが不満ではないし、国士舘を、そして地理学専攻(当時)を出たから今があると思えば隠す経歴ではなく、普通に出せています。案外人となりである程度のことは多分どうとでもなります。
話は変わりますが、いつの間にやら同じゼミの佐藤幸治くんも同じ会社に入ってきたりと、やはり世間は狭いものです。駅員さんも早丸7年、現在は桜木町駅におります。みなとみらいの景色も随分見慣れたと思いつつも、昨今はマンションラッシュで日々変わっているなとも感じています。そういえば卒業式はパシフィコでやったような。時代で変わるものですね。
趣味のローカルフードと郵便局めぐりで全国あちこち行っていますが、郵政も民営化で、我が楽しみが減らないよう願うばかりです。因みに去年の一番遠方は沖縄の黒島で、牛と本物の星砂を見てきました。
皆さんも日々忙しいでしょうが、くれぐれも健康管理はばっちりとお過ごしください。他にメールに出ている同期の樹所くん、前田くん、福田さん、牧野さん、それに二郎さんもお元気で。それではまた。
2007年3月8日 高橋 誠 (1993年度卒業)
山形県在住の高橋誠(1993年卒業)です。
皆さん続けざまに失礼します。私もフーさんの意見に同感です。出身大学や学科、専攻に誇りを持つこと、もてることはすごく大切なことだと思います。そして何よりも自分が頑張ることです。
自分が皆に負けないように踏ん張っていく気持ちがなくては駄目だと思う。自分の道と決めた仕事に対して頑張って取り組んでいく姿勢を示すこと、努力を継続することで出身大学がどうたらは吹き飛ばせると思う。思うな。思うからそんなものに負けるんだよ。負けそうになった分頑張って挽回すればと思う。
世の中で活躍している人はほとんどどこかの場面で「頑張っている人」ですよね。頑張っている人にはチャンスも多い。サボっている人のサクセスストーリーもあるとは思うが大抵は「頑張っている人」が注目され、生活ができていると思う。世の中で注目され活躍し、一見いいとされるセレブな生活ができている人が成功者ならば、なればいいし、なってやろうって思えばいい。その場合も出身大学ではなく「自分自身」の頑張りだと思うよ。
自分の出身大学がこうだから、このランクの仕事しかできないとか判断している人は駄目ですよ。大学のときに教えてもらってないことなんかいっぱいあるし、自分で勉強すればいい。勉強しても駄目だとあきらめたら駄目だと思う。仮に出身大学の偏差値が高いとされることで威張っている人は「どこかの場面でやっぱり頑張っている」と思う。
だけど皆さん地理・環境専攻ってすごい専科ですよね。授業の特色だってあるし、その専門性に枝葉をつけて生かす、そして殺すのも「自分」です。
僕は今の職業があっているかどうは不安だし、いつまで今のポジションでいられるかどうかは「世の中」が決めることだけど、頑張ることはやめたくないし、あきらめたくない。だったら頑張って何らかのアピールをするしかないと思う。足りない能力はお金をかけてもつけていくしかない。そうしないと時代はリストラの時代ですよ。すぐいらないって言われるよ。
また、自分のことをしゃべったり、架空の話が出てしまいましたが出身大学でモノを決める、社会的ランクを決める、自分や他人を判断することは確かに「ある」。「ありすぎる」。でも自分の中に「頑張って」そんなもの打破したり、能力という武器を時間やお金、鍛錬で解決できるのであればそうしたほうがいいんじゃない。
国士舘大学の地理・環境専攻は自分が引っ張るぞーっていうぐらい卒業生は頑張っていると思うよ。とにかく地理・環境の卒業生はね。
他学科、他専攻ののことは僕が動向いう問題ではなく範疇外ですが。
とにかく在学生の皆さん夢と現実を一緒にしたいなら頑張らないとね。俺も職場を首にならないように頑張ります。出身大学か?確かに聞かれることはあるけど俺は「言えるよ」当たり前ジャン。卒業した大学と専攻をいえなくてどうすんの?。出身大学で能力が決まるのか?もしそれで偏差値のこといわれたら言ってやれ。
10年以上も卒業してからたってるんだぞ。仕事や遊びで見につけた「自分自身の能力」で人間判断してくれというね。もちろんそのときの場面で一番適切な言葉とニュアンスで自分の武器をアピールしたりしながらね。
在学生頑張ってね。フーさんに刺激されこんな文章書いちゃいました。
2007年3月2日 J.F.
ご本人の申し出により削除しました。
2007年2月28日 高橋 誠 (1993年度卒業)
みなさん忙しい時期ですね。お疲れ様です。高橋誠です。
珍しい人(石崎裕)からのメールでしたね。こんなふうに「今あいつ何やってんだー!!」って感じでみんなが理解できるように近況報告でもメールで寄せられれば交流も生まれると思う。皆さんどうぞ!!って先生が大変ですよね。ホントに石崎なんてこの間のメールは1年分話した感じですよね。普段まったく話さない人間がですよ。
という具合にみなさんきっと変わっているに違いない。昼休みが終わったのでまた後日この続きは......。では皆さん頑張ってください。
2007年2月10日 石崎 裕 (1994年度卒業)
お久しぶりです。1994年度(?)卒業の石崎 裕です。
突然ですみませんが、いま大和市と藤沢市を流れる引地川に少し関わっているので、ここでちょっと紹介させて下さい。
引地川は大和市に水源を持ち、藤沢市を縦断し湘南海岸に至る全長約21kmの都市河川です。ほかの都市近郊の河川と同じくこの川もコンクリートで護岸が築かれ、一部は三面張りになっています。水質も悪く15年ほど前までは魚も住めないような川になっていました。
このままでは良くない、みんなに川に戻ってきて欲しいと「引地川川くだり」のイベントを市民団体が始めたのが1990年。また1部分ですが、1993年に日本で初めて三面張りのコンクリ護岸を剥がし、直線的だった川を蛇行させ、自然に近い形に直されました。その結果、水草や魚が戻り、今ではタモロコ、ヨシノボリ、アブラハ
ヤ、オイカワ、ギンブナなど、9種類の魚が確認できるまでになりました。また一 時期、姿が見えなくなっていたハグロトンボが再び川に戻っ てくるようになりました。
このハグロトンボの報告で、去年の「川の日 ワークショップ」ではグランプリをもらいました。
さて、コンクリートを剥がした自然護岸ですが、蛇籠を入れてあるとはいえ、表土は川の流れによって削られ、崩落の危険もあります。そのため護岸部分に柳を育て、メンテナンスを定期的に行なっています。そして年に1度、広く声をかけて誰でも参加できるイベントとしてこれを行なっています。今年は2月25日(日)に行ないます。この日は魚類調査の目的で魚とりもやります。
このようなことを市民を行政が協力して行なっているのは全国的にも珍しい事例です。チラシのPDFを添付しておきますので、都市河川の環境に興味のある学生にも知らせてあげて下さい。余談ですが、湘南工科大学では社会貢献活動で単位が与えられるシステムがあるそうで、毎年7〜8人の学生が参加してきます。社会人や子供たちとの交流という意味でも学生たちには良い経験になっているようです。
チラシはこちらのURLでも見られます。
http://briefcase.yahoo.co.jp/hikijigawanet/
こちらにアクセスして頂き、フォルダ「柳部会」→「柳とあそぼう引地川」とクリックして頂ければ、JPG形式とPDF形式で置いてあります。
2007年1月24日 高橋 誠 (1993年度卒業)
先生、皆さんお元気ですか?高橋誠です。毎年、この時期にメールしているような気がします。
現在、やはり報告書をまとめています。
今は東北地方のイヌワシについての繁殖状況調査という報告書をまとめています。ここ10年間の東北6県のイヌワシ繁殖ペアの情報を収集して繁殖成否・繁殖失敗原因・営巣地周辺環境の変化などの項目をたてて結果を導き出しています。
イヌワシは絶滅危惧種にも指定され生息数も減っています。その減少要因について東北地方について推定できればと思っています。もっと過去から掘り下げながら節目節目の減少傾向をみていきたいと思いますが一ついえることは農林業の衰退と関係がありそうだということです。
●特に在学生や卒業生の興味のおありの方はまあ少し考えてみてください。
イヌワシのことを少し知っていることを前提で話します。ご存じない方は申し訳ございませんがインターネット等でお調べ下さい。野暮な態度でごめんなさい。
イヌワシは日本の食物連鎖の頂点であるといわれています。
一見、イヌワシは原自然の残る生態系の頂点とだけ思われがちです。
しかし、その生息地の環境は人間の営みと密接な関係があります。生息地も営巣地も意外と人間生活と近いところにあるのです。
減少要因には自然的要因も数多く含まれています。その自然的要因とも複合しながら、日本古来からの農林業との関係が深く関っているのです。
農林業の衰退によりイヌワシも減少してきている。そのような状況が日本の現状のひとつです。
イヌワシのハンティングエリアは山の草原、自然裸地、雪崩地などの自然環境の他に間伐地や全伐地、人工草原などの人工的な環境があります。
その人工的なハンティングエリアが減少しているのです。
●減少要因に結びつくと予測される農林業の衰退項目としては
・拡大造林期のスギ植林と手入れ不足の現状(うっぺい林の拡大)。
・里山も含めた二次林などの森林の手入れ不足による山の野放し。
・放牧地、採草地に関しては牧畜業の衰退により荒地化など。
プラスしてその他の人為的な要因が複合的にからんでいくいうような感じでしょうか。
●農林業の衰退により餌となる哺乳類、鳥類を獲得するためのハンティングエリア(間伐や草地などの開けた場所)の減少によりイヌワシの繁殖率は低下してきているといえます。餌になる生物も減少してきている状況もあります。
そんな悲しくなるような日本の生物相の現状報告でもありましたがどうですか。他の生物に関しても社会状況や環境変化により増減があったと思います。
●イヌワシの生息環境を改善するために考案・計画・実行していること(取り組み)
がしかし手をこまねいているわけではなく、日本の各地で農林業の活性化策を考えたり、お金をかけて繁殖地周辺で間伐をして林(山)とイヌワシ(生物)の共存策なども考案し、実行しています。
無理だよ!!!と思う方もいるかもしれません。無駄です!!!と思うかもしれません。しかし、社会や環境は狂い始めていませんか?データを提示しないと何もいえないというかもしれませんが人間が、そう日本の社会と環境は日本人が「変えてきた」「狂わせた」と思いませんか。少しでも戻しませんか!!!良い方向に☆☆☆。大問題の解決は難しい。だけど身近なことから考えたり、実行ができることがあるはずだよね。みんなで頑張りましょ☆☆
いつも文章がまとまらないけど終わります。では
2006年6月18日 中島晶子 (2003年度卒業)
先生方、皆様お元気ですか?私は何とか元気にやってます。
卒業して以来、一度も大学に顔を出せずじまいで申し訳ありません。また折を見て顔を出せればなぁと思っています。
その代わりこちらのHPはいつも拝見しておりますよー。
地理実習や学会の写真を見るたびに当時を思い出し、”いろいろな”意味で懐かしい気持ちにさせられます(笑)。
私は現在、昨年度から地元の学校図書館司書として奇跡的に母校の小学校にて勤務しております。
卒業してすぐ夏の司書講習に2ヶ月間通い、ようやく取った司書の資格を生かせることを嬉しく思っておりますが、
何分非常勤なものですから様々な問題も抱えています。しかしせっかくの念願の司書ですからしっかり仕事を極めたいと頑張ってます!!
そして毎年春ごろには学生の時から恒例となっている旅行へ各地に飛んでおります(今までに行った所は草津・九州・北海道など)。
因みに今年は四国一周旅行でした。3泊4日で各地を回る強行スケジュールでしたがとても楽しく、特に四万十川の舟下りは手付かずの自然や美しい川の涼やかさ等が味わえました。やっぱり旅行はいいものですね。またメールさせてください。
※余談ですが本校の図書館にも地図の本が何冊かあり、その著者名を見ると何と懐かしい清水靖夫先生のお名前が!!
あと先日同じく清水先生が昔授業でおっしゃっていたこち亀のキャラクターと一緒に出てくる地図の本も先日発見し、即購入しました。
(「こちら葛飾区亀有公園前派出所 両さんの地図大達人」集英社 2000年) 清水先生に是非よろしくお伝え下さい。
2006年2月20日 高橋 誠 (1993年度卒業)
先生、皆さんご無沙汰しています。皆さん元気でしたか?
高橋誠です。
昨年、長谷川先生より紹介していただいた石月さんのアバランチシュート・筋状地形の卒業論文を参考文献に盛り込み、無事に報告書を書き終えました。ありがとうございました。
報告書とは環境省が管轄する国指定鳥獣保護区設定のための報告書でした。場所は奥只見・尾瀬地区という広いエリアです。日本でも有数のイヌワシの過密生息地域です。今までは群馬、福島、新潟と3県にまたがっていましたが次の計画で国の管轄になる予定です。
学生の皆さんもいますので少し鳥獣保護区のこととその報告書を紹介します。
鳥獣保護区の指定項目にもいろいろありまして今回は「大規模生息地」です。大型の哺乳類や猛禽類を主に多様で豊かな自然環境の中に野生鳥獣が大規模に暮らしているまたは暮らすために保護区に指定するものです。
報告書では地形・地質、植生、鳥類相、哺乳類相、そして、メインのイヌワシ、クマタカの生息状況とその環境、保護区の利用状況など様々なデータと調査内容で構成されます。
その中で石月さんの卒業論文を参考文献とて「イヌワシの餌場になりうる地形」というような項目で紹介させていただきました。まさにアバランチシュートや筋状地形を調べることがイヌワシの餌場の分布を調べていることになるに等しいのです(ちょっといいすぎかな)。
きちんと参考文献にも列挙して永久に保存されます。
石月さんは非常に細かくデータを積み上げられていまして私が考えていたとおりの筋書きで同地域のイヌワシの餌場環境を説明することができました。
私は結構国士舘地理のHPを見ていて、学生の皆さんがまとめられた論文のタイトルもつねに眼にします。
そして、内容さえ合致すれば私たちが書く、環境省等の報告書に参考例、文献として使いたいと思っています。
皆さん頑張ってください。特に地理学の論文の内容は様々な分野で利用できると思います。
「いいデータ、解りやすく、応用できるデータ」はどんどん吸収したいと思っています。
では長谷川先生、石月さん、この場を借りてお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。また、よろしくお願いいたします。
2006年 1月1日 福田真理 (1993年度卒業)
皆様 あけましておめでとうございます!!!
HPの場を借りまして、遅くなりましたが まこ、真さん おめでとうね!
先生、現役学生、卒業生の皆様 HAPPYな’06年を
そして、心より皆様の御健康を願います!(何より健康体が大切と常に思っておりま
すので)
今年もGoingMyWayな福田より
先生 お忙しい中、OBOGからのメール編集有難うございます。
くれぐれもお体の気をつけてそして良いお年を、今後とも宜しくお願い致します。
1993年度卒業 福田真理
2005年 10月13日 高橋 誠 (1993年度卒業)
皆様元気ですか。
ご無沙汰しておりました山形県八幡町在住の高橋誠です。11月からは合併により酒田市となります。
今年の鳥海山の紅葉は先週ぐらいから見ごろとなりました。ブナを中心とした麓の広葉樹林と山岳エリアのコントラストがきれいですので皆様ぜひ一度足をお運び下さい。
話は変わりますが同期の前田真太郎君(野口ゼミ 山梨県都留市在住)が11月に結婚することとなりました。お相手は山梨県大月市の方です。
結婚式は学生時代の前田君の姿も式場の皆様に見てもらいたいと考えています。
そこで前田君関連の写真等資料を集めています。前田君の学生時代のプリントされた写真、ビデオ動画等をお持ちの方がいましたら下記の住所まで郵送にてお送り下さい。
結婚式当日高橋が作成した学生時代の前田君のビデオCDを式場で流す予定でいます。ご協力下さい。「面白いもの」特にほしいです。
前田君の合格をいただいた後、完成版となりますが海賊版も作る予定です。時間はわずかです。皆さんよろしく。
資料をご提供していただいた方には結婚式が終わった後日、結婚式その他で前田君と奥様が写っている静止画と動画を組み合わせたもの(編集済み)をCD等で差しあげます。
お待ちしています。なお、資料を返却してほしい方はその旨を書いて下さい。
前田君の写真等資料送付先
〒999-8231
山形県飽海郡八幡町麓字荒町13-2
高橋誠
2005年 4月16日 高橋 誠 (1993年度卒業)
山形県やわた町在住の高橋誠です。
そして皆様ご無沙汰しておりました。4月の13日に子供(♂)が生まれ、お父ちゃんとなりました。
春の鳥海山麓の紹介をします。こちら鳥海山は標高500mでもまだ残雪が2m程度残っている場所もあります。麓の里山も例年よりは寒い(朝晩の冷え込みがきつい)です。その影響なのか私が調査対象としているフィールドの2箇所のフクロウの営巣が例年よりも遅れ、例年4卵程度あった卵数が今年はそれぞれ2卵と少なくなりました。私の住んでいる八幡町では自治体で電子ネットワークの強化をはかり光ファイバーネットワークを安価で住民に提供する「eなかねっと通信事業」を展開しています。高橋家も4月から安価で光を導入しました。これにより地理学教室の比較的重たい画像も速く対応できるようになりました。
話は変わりますが昨年度の卒論のタイトルの中で現在、私が取り組んでいる調査区域の付近で実施されたものがありました。
越後駒ケ岳のアバランチシュート等の雪崩地形に関するものですがぜひ参考にしたいと思いますがレジュメはいただけないのでしょうか。
これは長谷川先生と卒論をお書きになられた卒業生さんへの質問です。
現在私は当エリアについて動物の保護に関する現地調査や報告書のまとめを実施しているところです。
特にアバランチシュートやその他雪崩等による地形はイヌワシの餌場となりうる場所で、その地形の分布を調べておくことはその山岳エリアのイヌワシ調査おいて大変重要なファクターとなります。このようなことを当エリアで文献はなかなかないものです。
よろしければご返答願います。
2005年 1月 8日 高橋 誠 (1993年度卒業)
山形県 八幡町在住の高橋誠です。
新年、明けましておめでとうございます。年が明けてはじめてのメールです。私たちの年代では憧れの先輩であった越猪さんからの通信メールが入っていましたね。懐かしかったです。
さて、年明け最初の週末当番勤務の真っ只中、メールを書いています。こちら鳥海山南麓はすっかり雪の中です。
昨年は災害の多い年でした。今年はよい年にしたいですね。
私の住む山形庄内地方も昨年は台風が数回上陸し熱風により落葉広葉樹林が枯れ、葉を落とし、花が咲いたり、葉が出てくる現象が秋ごろまで確認されていました。
山を見ると鳥海山の雪渓(残雪)は年々少なく、小さくなってきています。庄内の地域全体が都市化し気温が上昇しているせいかもしれません。それに伴ってか雪渓の周囲の植物群落の構成が変わったり、乾燥化によって湿地が消失し、ササが密生するなど山の様子も変わってきています。
山岳環境が変わるということはそこに住む動物の分布にも影響が出てきます。生存できなくなり、消滅する種も出てくるかもしれません。
また、移動と採食繰り返すうちに人間の生活環境の中に入り込んで駆除されるものも出てきてしまうでしょう。
私は明後日から鳥海山の冬季ノウサギ調査に行ってきます。
今年のノウサギの大まかな生息数はどのくらいなのか調べるためです。この変動は私が調査研究対象としているイヌワシの繁殖の成否に大きな影響を与えます。
また、山からイヌワシが消えることは山の環境が荒れているということにもつながります。
これらは小さな要因発見の活動といえますがやがて訪れる自然環境のますますの悪化を少しでも未然に防御するための活動と思い行っています。
山岳環境が荒れると動植物、やがて人間にも悪影響が出るでしょう。海洋環境が荒れても同じことが言えると思います。
すべてつながっているということを意識しながら自動車に乗り、クーラーを使い、パソコンをいじり、暖房も使い、大地を汚す遊びもして見ましょう。少しはセーブできることあるんじゃないかなとみんなで思えれば、「少しは持つかなこの地球」ということでお昼が近づいてきました。
今年もよろしくお願いいたします。
2004年10月28日 越猪友美子
先生ご無沙汰しております。憶えてくれていますでしょうか。
最近地震で日本中が驚愕する中、職場のデスクで「私も大学で学んだ事を活かしてがんばっていれば(活かせるほど頭よくありませんでした)今頃多少なりとも何か世の中に役に立つことが出来ていたかもしれない。。。」と、夢と希望が満ち溢れていた学生時代が懐かしくなり、思わず仕事中に大学のHPを探してしまいました。
掲示板には所々懐かしい名前もあり、皆さんがんばっていらっしゃるのをみてなんだかうらやましかったです。
私は現在、大学で学んだ事とは全く関係のない企業で働いております。。
何年か前に会社をずる休みして大学へフラフラと行った事があり、10号館正面の部屋に長谷川先生が見えたので遠くから挨拶をしたのですが、気づいていなかったようなので、そのまま恥ずかしくなり帰りました。
次に行く時はちゃんと声をかけさせてもらいますので「誰だっけ?」なんて言わないでくださいね。では。
2004年10月28日 山本治代(2000年度卒業)
お久しぶりです。2000年度卒業の山本治代です。
新潟の地震で、気になってメールしました。先生ご自身は東京にいらっしゃったのでしょうか。現地も気になることと思います。私が言うのもおせっかいですが、心配です。
ニュースで松田時彦先生の名前とコメントを聞いて大学でやった事を思い出してきました・・・。
今回動いた活断層は未発見のものだったとか。新潟平野は信濃川の堆積物でできた平野で、砂でゆるいので、液状化してしまったのでしょうか。
仕事で道路を造っていたこともあるので、舗装がちぎれて段差になっていたり、マンホールが飛び出ていたりしているのを見ると、いったいどんな揺れだったのか想像もつきません。一刻も早く安心して暮らせる環境が確保できてほしいと思います。
先生方はちょうど今巡検で全国に散って調査中なんですね。地形の巡検は伊豆大島なんですか?。楽しそうですね!すごい露頭があるって聞いたことがあります。自分が千倉で測量したとき、最後の最後測り忘れて一日の作業がパーになったことを思い出してしまいました・・。(涙)
そのかいあってか?今は工事測量ができるようになり、春に測量士をとりました(単位をいただいた中村六郎先生には本当に感謝です)。同期の方々は、仕事、海外、結婚などいろいろです!奥山さんは旅行会社で、河守くんは東京で勤続、みんな元気で活躍中です!
それでは失礼します!
2004年07月05日 岩切 靖志 (1993年度卒業)
見てびっくり!!
長谷川先生,大変ご無沙汰しています。
先生の指導ゼミ生の中で「唯一の汚点」として記憶に残る(ほんとは記憶から抹消したいでしょうが。)
三留した「×××の岩切」です。
三留したせいで,私自身 卒業した年は記憶していません。
今は,×××に帰り34歳,いよいよ当時の先生のようにおっさんの「仲間入り」し「2児の父」となってしまいました。
当時,空港建設に反対し「環境を守る側」にいた私は,何の因果か地元の「建設コンサルタント」会社に就職し,今日まで人類のために国民の血税で「無駄な道路の設計」を積み重ね環境破壊に努めてきました。これからも益々環境破壊に精を出す毎日です。
×××に立ち寄りの際は,私まで「御一報のほど」お願い致します。
「建設業界の汚い手段又は地方自治体の良民を騙す方法」を 焼酎を飲みつつ お教えいたします。
突然のメール大変失礼致しました。
××× 岩切
管理者 注: ××× には地名が入ります。岩切氏の身の安全を考えあえて伏せ字に。
2003年12月19日 長岡 章夫 (1992年卒業)
お久しぶりです。長岡でございます。
長い失業生活はいまだ続けておりますが、本年10月から地元埼玉県戸田市で、地域通貨戸田オールというのを運営している委員として、事務局をしています。
あいも変わらず理屈っぽく金にもならないことを続けております。
HPもありますので、つまらないでしょうが見て下さい。
http://www.toda-oar.net
E-mail:info@toda-oar.net
もし、同じようなことをしている方がOBの方でいらしたら、ぜひ連絡ください。
そのうち国士舘の先生方やOBの方にも講師やパネリストをお願いするかもしれませんが、その折はよろしくお願いいたします(謝礼はあまり期待しないでください)。
2003年12月15日 高橋 誠 (1993年度卒業)
お元気でしょうか。先日、同輩の鈴木君(愛媛、内田ゼミ、鉄道沿線イメージ)の結婚式に行きました。
茂木さん、大和さんも出席し、前田真太郎君とも元気で再会できました。
今年の夏に自然観察指導員の講習を終了し指導員資格を得ました。時間的に余裕ができたこともあります。
環境教育、イベント、週末自然体験など最近はメニューが盛だくさんですよね。
ここ(猛禽類保護センター)も環境省の施設ですので猛禽類関係、自然関係などの分野で周辺地域から期待されておりまして、調査や保護活動以外にも普及啓発の分野でのメニューを設定しています。そういう関係も有り受講しました。環境教育の方法や受講者との交流など充実した時間でした。特に私は体の不自由な方のための自然体験等が大切だと思っていましたのでその取り組み方が勉強になりました。
受講料は少々高いですが学生のうちに受講し、指導員として頑張ることはいい経験になると思いました。
環境省猛禽類保護センター研究員までの過程やきっかけなどは後日、アップします。
学生時代の授業や体験などかなり生きていますのでその辺も書きたいと思います。
2003年12月04日 肥留間 広幸 (1994年度 卒業)
ご無沙汰しております。埼玉の肥留間です。
11月29日に発売された季刊誌「自給自足」VOL.4にて、私が紹介されましたのでお知らせいたします。本業は農業ですが、今回は農作業の様子というよりも私の趣味のことで掲載されております。「自休自足」は、最近話題になっているスローフード、スローライフ、田舎暮らしなどをテーマにしている雑誌です。一応全国誌ですので、書店に行けば陳列されていることと思います(今号は黄色い表紙ですので目立つと思います)。ご覧いただければ幸いです。
今年の農作物は、連日ニュースで報道されているように冷夏と雨が多いため、出来不出来の差が大変激しいです。お米に関しても地域によって質、量ともに平年並みといわれているところもあります。我が家は7割作といったところでしょうか。秋から冬にかけての野菜、大根、キャベツ、ブロッコリー、小松菜などは安値であったりと、さんざんな結果です。同業者の中には「その分、消費者は喜んでくれるし、野菜をたくさん食べてくれるだろう」とおっしゃる方もおりますが、やはり厳しいです。
これからだんだん寒くなり、忙しい時期になってきますが、みなさんお体を大事になさってください。
失礼します。
なんちゃって百姓・肥留間 http://homepage2.nifty.com/agrihiro/
2003年6月11日 村松 篤盛 (1994年度 卒業)
ずいぶん久しぶりの投稿をします。
実は昨日6月10日、私は東京へ労働組合関係で年休とって出張してました。義務教育費国庫負担制度堅持を求めて、国会議員への陳情およびデモ行進に参加しました。現在、小中学校の教職員給与費の半額は、国が負担しています。しかし小泉首相は、この制度の廃止をすすめようとしています。もし、この制度がなくなれば、全国的水準を確保する必要のある義務教育が、個々の県の財政力に左右されることになり、あってはならない義務教育の地域間格差や水準の低下を招くことになります。日本国憲法第26条は「教育を受ける権利、義務」を規定しています。これは、すべての子どもたちが、住んでいるところや自治体の財政事情に左右されることなく、必要な教育を受けることを定めたものです。この憲法の要請により、教育の全国水準や機会均等を確保するため、地域の財政事情にかかわらず、必要な教職員を全国に配置し国の責任として教職員給与費の半額を負担するのが義務教育費国庫負担制度なのです。
なんやら難しい話になってしまいましたが、生まれて初めて地元出身の国会議員に陳情しに行き、秘書ではなく代議士本人と約30分も教育や地域の諸課題について懇談できたことは、いい経験になりました。私は現在、地元の小規模な中学校に赴任し5年目を迎えました。昼間は純真な子どもたちとドラマチックな日々を過ごし、勤務時間が終わってからは地元の教職員組合の執行委員としていろいろな仕事を任され、しんどいけれども充実した日々を送っています。
これからも、組合がらみで東京へ出張することがあると思います。今回はハードな日程でお邪魔できませんでしたが、時間を見つけて一度大学へ行きたいと思います。その時はよろしくです。
2003年 5月1日 本人のご希望により削除しました(2012/05/12)
2003.2月15日 本人のご希望により削除しました(2012/05/12)
2002年12月18日 しょうじ
久しぶりにここに来ました。私の知っている方もいろいろ書き込んでいるよう
で・・・。
まあこれといって近状を報告することもないのですが、ここに来た足
跡だけでも残していこうかと・・・。
ところで、12月15日の地理学の総会ではお 世話になりました。先生方、現役の学生方ととても楽しい時間を過ごさせていた
だきました。
また次の機会にお世話になるかもしれません。その時はよろしくお
願いいたします。
2002年10月03日 八久保厚志(12期卒業)
12期卒業生のみなさまへ
10月2日、同窓会の準備会を発足いたしました。来春をめどに同窓会を企画します。
同期生のみなさんの近況をお待ちします。
連絡先は、hachik01@kanagawa-u.ac.jp
で八久保がお待ちします。
よろしくお願いします。
2002年10月03日 青山郁子 56年(12回)卒業です。
*** 地理学専攻 昭和56年卒業 (12回生)の皆様へ ***
56年卒業 青山郁子(旧姓 丸山)と申します。
大学を卒業して、早20数年、それぞれご活躍のことと存じ上げます。
このたび、先月の八久保さんのメールによって、同級会の計画が進み始めています。
このメールをご覧になってご自分が行方不明ではないかと思われている方は、八久保さんにご連絡くださいますようにお願い致します。
去る、10月2日、横浜にて、八久保さん、村山さん、村井さんご夫妻(奥様は新村さん)、旧姓加藤さん、手取さん、旧姓丸山の以上7名で1回目の打合わせを行いました。(次回は11月13日の予定)具体的なことはこれから詰めていきますが、予定としては来年2月頃、東京で(東京駅周辺)と考えています。
ご案内は、メールアドレスをお持ちのかたは、メールになるかもしれませんので、その旨をお知らせくだされば幸いです。卒業以来はじめてのことです。 皆様のご参加を楽しみにしています。
八久保さんのメールアドレス hachik01@kanagawa-u.ac.jp
2002年09月18日 八久保厚志(12回卒業;卒業年:忘れました)
国士舘大学地理学専攻12回生のみなさまへ
先日加賀屋の藤森君と久しぶりに会いました。
その折り、早急に同窓会を企画する話が出ました。
この先半年くらいで準備したいと思います。
企画、消息等以下の アドレスにメールください。
hachik01@kanagawa-u.ac.jp
八久保は現在神奈川大学の外国語学部に所属しています。
2002年08月14日 藤田淳一(1988年度卒業)
ご無沙汰しています。 1989年3月卒業の藤田です。
久々にHPを拝見させていただきました。 昨年夏、山梨から茨城の支店に転勤し、やっとこちらの環境にも慣れたところで
す。 web情報をつまみ食いしている最中に、同窓会新聞の住所不明者欄に我が名前
が掲示 されておりましたので、早速変更の手続きを取らせていただきました。
なんだか、不明者リストに自分の名前が掲載されているのは、あまり気持ちの良
いもの ではないですネ。
現在、土浦市在住です。 つくば地区にお寄りの際は是非お声をかけて下さい。 お待ちしております。 それでは。
◆藤田淳一 junichi_fujita@pasco.co.jp 株式会社 パ ス コ 茨城支店
2002年06月26日 牧野民子(1993年度卒業)
ご無沙汰しております。
93年卒の牧野です。
今年はじめに娘が誕生し、おばさんぽくなりました。
(もう30ですから・・・・)
娘は私に似てかわいいです(親バカ)。
最近はあまり出かけることも無いですが、一時期イギリスにはまりました。
地理っぽく書くと、やはりイギリスは一日の中に四季があるくらい天気がよく変わります。
ブリティッシュイングリッシュを話し、日本人が絶対行かないようなパブに入り浸ってはビールを飲む日々、食事のまずさに10日で3キロやせました。ダイエットには最適地です。
帰国した福田の真理ちゃんにせっつかれてHPを見て、メールなんて書いてしまいました。
ちなみにメアドは tanko@pine.zero.ad.jp です。
訃報 2000年3月に卒業された、小場達典さんがお亡くなりになりました。4月22日、長崎県島原市のご自宅で亡くなられたそうです。ご葬儀には同級生達が駆けつけ、参列されたそうです。3月に、研究室へ遊びに来てくれていましたので信じられないおもいです。ご冥福をお祈りいたします。
2002年04月14日 前田真太郎(1993年度卒業)
2002年04月05日 岩崎 雄志 (2000年03月卒業)
ご無沙汰しております、2000年卒の岩崎です。
久しぶりにHPを見たら、リニューアルされていたので書きこんで見ました。
入社3年目になったのですが、現在論文の作成に追われています。
日立製作所でシステムエンジニアをしていて、
某飲料会社の経営管理システムの構築について
論文を書いてます。入社後2年間は研修員という身分で、いろいろと業務知識を習得して、
3年目の始めに2年間業務でやってきたことを論文にまとめて発表をするんです。
先週まで思うように論文を書く時間が取れなかったので、
今週から休日返上で書いています。 発表が4/26(金)なので、GWはずっと寝てるんだろうな・・・
2001年12月10日 井上 正彦 (1989年度 卒業)
前略。ご無沙汰しております。89年度卒の井上です。
久しぶりにホームページを拝見させていただいたのですが、OBOG通信で同級生の宮川君の訃報を知り、ただただ驚いているばかりです。
授業でその日一番に合うと、「いの〜うえ〜クン」と独特の口調で声をかけてもらったのが今でも思い出されます。たしか彼、ホンダの初代シティーに以前乗っていたと思います。沼津の巡検にはよく乗せてもらいました。3年の時に廃車にすると言っていましたが、そんなことなら自分が引き取ればよかったと今更ながら思いました。
私も来年年男で同級生の皆もそろそろポスト40歳代となるころでありますが、いざ同級生の訃報を耳にすると「そういう年になったのか」と溜息がこぼれます。 今回はこの辺で。 ニフティ(株)センター部 井上
訃報
宮川晴夫さん(1989年度卒業)が、先頃お亡くなりになったとの連絡がありました。2001/11/28に、小山市で告別式がとりおこなわれたそうです。ご冥福をお祈り申し上げます。なお、宮川さんのこの欄への書き込みは、1998-2000年のページをごらんください。
2001年10月23日 F.J.
ご本人の希望により削除しました。
2001年10月15日 肥留間 広幸 (1994年度 卒業)
久しぶりの肥留間です。
村松君の書きこみにあるように、同期の長島ゼミ長である、S本君が結婚されます。
ありがたいことに、私も招待されました。私が知っている限り、4〜5人ほどは招待
されています。村松君は独身ということですが、私も独身ですし、招待された2〜3
人ほどはまだ独り身ですので、当日はS本君のノロケに当てられそうです。先日、長
島先生とお会いする機会があり、先生も招待されているとのことでした。
長島先生にお会いしたのは、地理実習で近くまで行くので、学生に話をして欲しいと
いう呼びかけに応じたためです。テーマは「都市地域における農業・農村の現状と課
題」とのことで、私がお邪魔した日は、日中、川口の緑化センターを中心に盆栽、植
木を扱う農家、造園業を回ったようでした。私は野菜生産農家なので、学生達の参考
になるような話が出来たのが不安でしたが、共通のキーワード、農地としている土地
の種類(都市計画関係など)など、学生が知りたいこともあったようなので、ほっと
しています。30分ほどしかお話をする時間がなく、また学生達の報告が終わってから
お邪魔したため、学生達の報告を耳にすることができなかったことが残念でした。
長島先生は埼玉に地下鉄が開通したことをご存知で無かったらしく、大変興味を示さ
れていましたが、乗車したのでしょうか。感想など、S本君の披露宴でお会いできる
のなら、聞いてみたいものです。
2001年10月04日 村松 篤盛 (1994年度卒業)
みなさん、お久しぶりです。三重の村松です。11月のS君の結婚式に出席します が、他に誰が招待されたのか分かりません。もう何年もみんなに会っていないので、 楽しみです。ちなみに僕は髭を生やして、ずいぶん人相が悪くなりました。みんなは どう?そして、ひょっとして独身は俺だけ?披露宴の後は、H松でパァーっと行きま しょうか。
2001年08月19日 樹所 毅(1993年度卒業)
1993年度卒業の樹所毅です。
OB・OG通信の書き込み履歴を見る と、高橋誠・伊藤恵喜の同期にあたります。あと、京都でご活躍の水野先生にお世
話になりました。卒論の調査では、後輩の青木美和・菊池啓之には奄美でお世話に
なっています。 ちなみに菊池、お前に空中写真(多分奄美大島の)貸してそのまんまだぞ、調布に勤
めているなら、府中の俺んちに返しにこい。最後になりましたが、長谷川先生には在学中は鶴川・世田谷・白保・奄美と大変お世
話になっております。今年も白保の調査へ行かれるそうですが、お体に気を付けて下
さい、調査・研究が順調に運ぶことをお祈りします。
という事で、またメールします。樹所でした。
kido01@jcom.home.ne.jp
2001年08月13日 高橋 誠 (1993年度卒業)
OB・OG皆さんも元気ですか。暑いですね。
高橋は4月から環境省のワイルドライフセンターのひとつで設置された猛禽類保護センターに勤務してます。
日本のワシ・タカについて調査研究しています。鳥海山の麓で山形県の北の果ての八幡町(やわたまち)に昨年の9月に設置されました。 もちろん八幡町の住人です。
アジア地域でははじめて設置されたようです。
ここは酒田市が近く吾がふるさとの北海道の江差町と似ており安心して居住しています。
これは今の季節関東以西の方には禁句ですが鳥海山の残雪起源の水はきれいで量が多く、なんと言っても涼すぃーでぇす。
皆さん登山の際は御寄りください。 伊藤ケイキくんへ研修とはいえいいなぁ国鉄は儲かってるね。タンゴやジルバそして佐渡おけさも覚えてね。
2001年08月03日 八久保厚志 (地理学専攻12回卒業)
暑中お見舞い申し上げます.
「国士舘大学地理学専攻12回卒業生のみなさまへ:
村山君丸山さんお久しぶりです.今度同窓会をやりましょう.明日日吉君と会うの
で,企画が固まったらまたこの場に書き込みをお願いします.
注目してください.また,よかったらatu@nit.ac.jpまでメールくださ
い.ではまた.八久保でした.
2001年07月31日 伊藤 恵喜 (1993年度卒業)
例年にない猛暑の中、皆さんお元気にお過ごしでしょうか。平成5年度卒業の伊藤惠喜です。
さてこの度、会社の研修という名目で、初の海外となるシンガポール、マレーシア、タイに行ってまいりました。研修の主な内容はリーダー研修のようなグループワーキングとクルーズ客船に乗っての活動、現地地下鉄(MRT)の企業訪問、そして自由行動でした。
在学当時からの語学力のなさが懸念されていましたが、船内においてオーストラリアの方とディナーを一緒にしたり、インドの方とジャグジーに入ったりと、会話については変に度胸をつけました。ただ日本人は基本的に日本人同士で群れることが多いのと、社交ダンスが出来ない(?)ことを見るにつけもっとグローバルにならないといつまでたっても外国人コンプレックスがなくならないと感じました。
さてフリータイムの話、自分はマレー鉄道に乗ってジョホールバルに行きました。まず切符を買うのに言葉が通じず一苦労。初めて自力でのイミグレーションにどきどきし、ジョホールバルでは写真を撮ってもらおうとしたらマレー語しか通じずまた苦労。シンガポールへの帰りのバスではいくら払ったらいいのか分からずまた大変ということでしたが、今回の中では自分ひとりでやった自由行動が一番思い出に残りました。
今までさほど海外に興味を示さなかったのですが、海外を知ることで視野が広がると率直に感じました。自分が言うのもなんですが、せめて英語と社交ダンス(?)ぐらい出来るようにしておきたいものです。長くなりましたが、皆さんも体調に気をつけ、お互い頑張りましょう。それではまた。
2001年06月16日 鳥海 覚 (1979年度卒業)
こんにちわ。昭和54年度卒業の鳥海覚と申します。
あるHPのリンク集に母校の地理学教室のHPがあり、驚きました。
早速アクセスさせて頂きましたところ、懐かしい鶴川校舎、世田谷校舎、測量実習をした羽根木公園、地理巡検のことが、走馬燈のごとくよみがえりまし
た。 卒業して20数年、メ−ルをだすのはためらわれましたが、懐かしさの余り、出してしまいました。
たしか私が三回生の時に、長島先生が代理で講義にお見えになり、一番最初の講義の出欠をとるときに、私の出身地を「千葉だろう、千葉は鳥海姓が多
いから」とお当てになられたことと、 チョ−クホルダ−をお使いになっておられたことを、今でもはっきりと覚えております(先生はぐ−たらな学生のことは覚えていらっしゃらないと思いますが)。
岩田先生、大橋先生、大崎先生、担当の山本正一先生、吉田先生、浅井先生、いまどうしておられるでしょうか。
卒業して千葉の田舎に引っ込み、父親の後を継いで、小さい商売を営んでいる私ですが、
こういうHPがあると懐かしい皆様の消息がわかり、励まされますね。
東京に出る機会がありましたら、寄らせて頂きます。
昔話におつきあいさせてすみませんでした。
皆様のご活躍を心よりお祈り申しあげます。
URL:www2s.biglobe.ne.jp/~toriumi/ メ−ルtoriumi@mvc.biglobe.ne.jp
メ−ルアドレス出して構いません。
2001年04月16日 河守 基毅 (2000年度卒業)
こんばんわ、河守基毅です。 お元気ですか?
社会人になり半月が経ちました。
最初の一週間は学生のころの怠惰(自分に限っては)
な生活とは異なって、時間に追われる毎日でした。
会社の先輩は優しい方ばかりでとても居心地の良い職場です。先々週に仮配属の発
表があり、業務部の業務用地課になりました。
今現在、僕の仕事は暫定利用として駐車場や住宅展示場になっている土地の管理や、
自社経営の店鋪(コンビニ、レストラン)の経営見直しに携わっています。
自分が思っていた『街創り』とはかけはなれいてますが、ゆくゆくは都市公団に出向
させてもらえるので、思う存分働きたいと思っています。
先生方も体に気をつけてお仕事頑張って下さい。
また近況報告をさせてもらいます。
2001年03月28日 田部 貴志 (1997年度卒業)
ゼミで大変お世話になった内田先生をはじめとして、地理の先生方また
ここを読んでいる同期の皆さんお元気ですか?
97年度(98年3月)卒業の 田部です。学籍番号も06−72697とちゃんと覚えています。
このコーナーも半年以上前から見てメールを送ろうと思っていたのですが、
重い腰がなかなか上がらず、今日に至りましたが今回の安芸灘地震改め
芸予地震において、全国の皆様から安否を確認する電話やメールをいただ
き、この場を借りてお礼を言おうとも兼ねて初メールです。
いまだに仕事は某トヨタディーラに勤め、今は転勤で東広島市にある
フォルクスワーゲンの正規ディーラーにおりますので、フォルクスワーゲン
車がほしい方はご連絡ください。と宣伝もしてしまいました。
3月24日15時28分、仕事でショールームにいたところ、いきなり
昨秋の鳥取西部地震よりも激しい、生まれて体験したこともない揺れが起き
40秒ほど揺れました。幸い物が落ちたという程度の被害ですみましたが、
広島市の実家は風呂場の壁のタイルにひびが入りました。まだこの程度は
軽く食器が全部割れたとか屋根がぐちゃぐちゃになったという人も
おりました。ということで田部はこのように無事に生きております。
(テレビや新聞に名前が載ってないのでそうですが・・・)
ご心配おかけしました。電話やメールを下さった方ありがとうございまし
た。またゴールデンウィークに東京方面に遊びにいくかもしれません。
その節はお会いしましょう。 メールアドレス:tabe-tak@cc22.ne.jp
09046940268@docomo.ne.jp(変更するかもしれません)おおっと思った方はメールでも下さい。(いたずらはやめてください)
2001年03月27日 村松 篤盛 (1994年度卒業)
みなさんお久しぶりです。僕は昨日(3月26日)、年休をとってUSJに行ってき
ました。3月31日のオープン前で、招待客しか入れないんだけど、それでもすごい人
・人・人!各アトラクションとも2時間待ちは当たり前でした。各アトラクションと
も、すごく凝っていて魅力はあるのだけれども、やっぱりアトラクションの数が少な
すぎます。約5万5千人が入場して、ほとんどの人が6つぐらいの人気のあるアトラ
クションに殺到するので、長い長い行列が出来るんですよね。同じ入場料なら、TD
Lの方が断然魅力的に思いました。僕個人としては。
そう言えば、TDLには自分が中学生の時の修学旅行以来14年も行ってないなぁ。
せっかく教員になって、修学旅行の引率でTDLに行けると思ったのに、今年から目
的地が沖縄に変わったし。まぁ、それはそれでとても嬉しいし、勉強になるのだけれ
ども。誰か同期の人、同窓会でも開いて下さい。そしたら、ついでにTDL行けるの
で。みなさん、年度末の忙しい時期ですが、身体に気を付けてお仕事頑張りましょ
う。ではまた。
2001年03月23日 伊藤 惠喜 (1993年度卒業)
OBOG通信お初にお目にかかります。
早いもので卒業後7年たちましたが、あまりにも同期の投稿が少ないので送らさせて頂きました。(多少懐かしいのもありますけれど…)
私は6年間勤めた某バス会社から昨年4月よりJR東日本に転職し、現在大船駅に勤務しております。仕事は大変ですが、来られるお客様は十人十色、非常に面白いです。 ただしお客様商売です
から、電車が好きだけでは少々辛いかも知れません。
21世紀を迎え、所帯持ちになり学生時代の頃ほど遊べなくなりましたが、趣味としている旅行貯金もちょくちょく出かけています。今後も何かありましたらメールを送りたいと思います。皆
さんそれぞれ頑張りましょう。
2001年03月06日 山本 治代、越川 美穂、菅野 江梨子 (2001年3月卒業見込)
konnichiha! ogenki desuka.
YAMAMOTO Haruyo desu. ima okuyama san wo
tazunete Philippine ni kiteimasu. manira
de aimashita. kanojo ha genki ni genchi no
seikatu wo enjoy shiteiru youdeshita. watashi
ha ima ruson tou no kita, Vigan to iu chiisana
machi ni kiteimasu. koko ha supein fuu no
machinami wo shiteite, ishi-datami no toori
mo arimasu (to ittemo tatta 1ppon dakedesuga).
kyou ha basha ni nori, machi wo mawari mashita.
okinawa no youni hizashi ga kitsui node,
norimono ni noranaide chou-kyori wo idou
surunoha kanari muzukashii desu. sono mae
ha sangaku-chitai no Banaue to iu, koremo
chiisana chiisana machi he iki mashita. soko
niha sekai-isan nimo touroku sareta riceterase
(nihon no tanada) ga arimasu. mae ni NHK
de tokushuu wo yatteita nowo mite, itte mita
no desuga, sore ha mou!! chou kandou deshita!!
honto ni yama ni toukou-sen wo hiita ka no
youna kirei na tanada deshita. mou,tonikaku,
subarashi katta desu. kanari sugoi tokoro
desuga, sensei nimo iku koto wo osusume shimasu.
Do--------------------mo------------------!!!!!!!!!!!
KOSHIKAWAde--------------------------su!!!
iyaiya 4nenkan osewani narimasitane-------
Watashiha ichido KUMAMOTOni modoote sonogo
ryuugakuwo simasu senseimo okaradani kiwotsukete
ganbatte kudasai!!! senseiogenkidesuka?
KANNO ERIKOdesu!!! ima bigan toiumatiniimasuga
totemoatukute naokatu bag gaomokute minna
hetohetodesu. korekara mata 10jikankurai
basuninottekaerimasuga kanari daruidesu.
soredeha mata!!
2001年01月23日 菊池 啓之 (1995年3月卒業)
はじめまして、また久しぶりです。OBOG通信を見たら、聞き慣れた名前 が結構あり、懐かしくも思いました。私の名前も聞いたことがあるとおもうし、やっ
と出てきたかと思う人もいるでしょう。
まえおきはさておき、私の現況ですが、航空測量会社に勤めています。会社は調布の
飛行場です。調布に飛行場があるのを知らない人が多いと思いますがあるのです。そ
こで主に3つの仕事をしています。1つ目は、航空写真をとること。2つ目は、レー
ザーを使って高さデータをとること。3つ目は、画像処理です。航空写真を撮るとい
うのは、文字通りでプロペラ機にのって航空写真用のカメラで写真をとります。レー
ザーを使って高さデータをとることというのは、今年から始めたあたらしいことでで
す。これもプロペラ機に乗ります。上空からレーザーを地上に向けて発射し、その反
射で高さデータを取るというものです。画像処理は、航空写真のフィルムをスキャ
ナーにかけてデジタルのデータに変換することと、デジタルにした1枚1枚の画像をソ
フトでつなぐことをしています(モザイクといいます)。
画像処理は室内で行っているので、いいのですが、飛ぶ方はまさにお天気仕事で
す。晴れれば仕事です。土日祝日盆正月関係ありません。さらに気流が悪いときは飛
行機がかなり揺れて酔います。フリーフォールとマジックカーペット足したようなも
のです。
悪いことばかり書きましたが良いこともあります。それは普通の人が見られない角
度から地上を見られることです。富士山の真上からとか、冬の尾瀬ヶ原の景色とかす
ごいいいです。 以上、脈略もなく思いついたことだけ書いてしまいました。
私の名前を見て懐かしいと思った方は是非メールをください。アドレスは
fwjd8166@mb.infoweb.ne.jp です。
これ以降の奥山さんからのメイルは、「奥山友希乃 留学日記」へ移りました。
2001年01月17日 奥山 友希乃 (2001年1月から海外協定校デ・ラ・サール大学へ留学中(環境学))
お元気ですか?
奥山です。 まだ、PCをつないでいないので、当分こちらからはローマ字になってしまいますが、そちらからのメイルは日本語でOKです。
中略
こちらは、思ったよりきれいで安全だと感じました。
今日はエストラーデ大統領の裁判があって、授業が休みでした。
私は知らずに教室に行ったのですが、誰もいませんでした。
みょうに朝、外が騒がしくてデモ行進をしている感じだったので何かあるなとは思っていましたが。
後略
それでは・・。
2001年01月17日 長岡 (1992年09月卒業)
初めてお便りします。1992年9月に卒業した長岡です。地理学教室の皆さんお元
気ですか?近況として、自分の報告をしますと昨年の8月末をもって会社を退職して
現在職業訓練中です。その中でパソコンの実習を行っていますので、メールいたした
次第です。私のアドレスではありませんので、返信等はご勘弁を。
今日メールしたの は、昨年末に埼玉県の文書館というところで企画した、地図の読み方の講習を受講し
たところ、ここには独自に撮影した埼玉県内の航空写真(埼玉県の全域をカバーして
いる)や古文書・古地図を所蔵していることを知ったからです。特に明治期以降の実
測図は参謀本部陸地測量部の地図だけでなく、県内の土木事務所等が作成した地図も
保管してあります。埼玉県内に住んでおられる地理学の学生の皆さん、一度見学され
てはいかがでしょうか。場所は浦和にある県庁舎の建物を17号線(中仙道)で挟ん
だ反対側(西側)にあります。案内板も出ていますので、すぐにわかると思います。
それでは皆さん失礼します。
2001年01月14日 岩崎 雄志 (2000年03月卒業)
はじめまして、2000年卒業の岩崎雄志です。
現在は、(株)日立製作所 産業システム事業部に勤務しており、製造業(食品部門)のシステムエンジニアをしています。正式には、自分が所属している会社から親会社への出向という形ですが。
1年目から大きなプロジェクトに参加することができ、日々勉強の状況です。
12月の地理学会では長谷川ゼミの同期のみんな来るかな?と思い、仕事帰りに行ってみたのですが、小場君やゼミのOBの方がいたのでいろいろ話ができました。
卒業して1年が過ぎようとしています。そこで、同期の皆さん集まりませんか?
takiwasa@itg.hitachi.co.jp まで近況をお知らせください。