<自己紹介>
 サンフランシスコ平和条約が発効し、アジア太平洋戦争の敗北による連合国の占領が終結し、日本が独立国家としての主権を回復した1952(昭和27)年、新潟県新津市に生まれる。1955(昭和30)年から高度経済成長が始まるので、その申し子として成長する。そして、父親が国鉄(現JR)職員であったため、ほぼ3年周期で転勤となり、それにともない新潟県内の小・中・高校を転々とする。

 


 
1971(昭和46)年に早稲田大学第一文学部に入学したが、大学闘争(学生運動)の激化により1年生時の授業の記憶はほとんどない。勉強とは自分でするものであることを実感し、学生運動には心からなじめず広範な書物を読みあさる。とともに、「旅の会」というサークルに入り、全国各地を歩き回る。3年生になる頃明治維新に興味を持ち、サラリーマンにはなりたくなくて、研究者を目指して大学院に進学する。しかし、容易に研究職に就けるほど現実は甘くなく、予備校講師として生活費を稼ぎながら論文を書く日々が13年間続く。
  幸運にも42歳にしてようやく、国士舘大学の今はなき教養部の専任教員に採用され、教養部廃止とともに文学部に移籍して現在に至る。2003(平成15)年、博士(文学、早稲田大学)の学位を得る。酒とジョギングをこよなく愛す。

<担当授業科目>
 鶴川校舎で「歴史学」、「日本史概説」、「近代史料を読む」を担当し、世田谷校舎で「日本の近代」や「演習T・U」を担当する。演習のテーマは明治維新であるが、ゼミ員の卒論はそれに限らず日本近代史全般に及んでいる。ゼミ員は毎年10名から15名ほどで、男女比率はほぼ同じ。かなり厳しい研究報告を義務づけているが、コンパという酒の席も出きる限り設けて親睦を図っている。

<研究テーマと学会活動
 日本近代史の分野では、最も研究蓄積が豊富な明治維新に取り組んでいる。どんな研究分野であれ、やればやるほど分かったようで、分からなくなってくるものであるが、明治維新も奥の深いテーマであることを痛感する。明治維新史学会の理事として学会運営に携わっているが、現在は会誌『明治維新史研究』の編集長を務めている。

<研究業績>
  明治維新に関わる単著を、今までに3冊刊行している。中央集権国家を創り出した廃藩置県とはどのようにして行われたのか、という課題に取り組んだ『廃藩置県』(2000年、講談社選書メチエ)。日本近代国家の官僚機構の中心であった内務省はどのようにして設けられたのか、ということを明らかにした『内務省と明治国家形成』(2002年、吉川弘文館)。明治維新のトップ・リーダーであった大久保利通が夢見た近代日本とは何であったのか、ということを追究した『〈政事家〉大久保利通』(2003年、講談社選書メチエ)。その他、明治時代を対象とした論文は多数あるが省略。