<自己紹介>
 太平洋戦争敗戦の翌昭和21 (1946)年秋田県大館市で兄妹3人兄弟の次男として生まれた。子供の頃よく家族で昼食にジャガイモを食べたことが幼な心に残っている。そのせいか今でもジャガイモ料理は大好物である。文政以前武士をやめた先祖がこの地に住み着ついたと伝えられ、現在は90歳になる母が土地と家をかたくなに守っている。小・中学校は自宅から徒歩で通ったが高校へは30キロ離れた汽車通学、これには思い出がいっぱい詰まっている。

 
  昭和42(1967)年、一浪のあと国士舘大学文学部国史学専攻に入学。大学の紛争激化前夜であった。しかし国士舘にはこの波が押し寄せなかった。多くの大学で講義中止の事実を知り「なぜ国士舘は」と、うらやましく思った(休講の毎日)ことも正直なところあった。

 大学では1年から考古学の先生に師事し発掘調査に参加するようになった。考古学を専攻した最大の理由はただ一つ「発掘調査期間中は3食昼寝付き自己負担なしで、おまけに夜は毎晩宴会そして交通費・宿泊費もタダ」これが小生の人生を決めてしまった。考古学実習として大学に実習費を納めるようになったのは小生4年の時からで、これが今日の制度化されたものである。卒業後は韓国の大学に留学予定であったが中止になってしまった。その後1971・1973・1974年にはイラク国カルバラ遺跡の発掘調査に参加し、はじめて外国での発掘を経験した。1998年1ヵ年韓国国立公州大学に留学、28年後にかなった念願である。本学の教員となったのは1976年助手からはじまり現在にいたる。

<授業担当科目>
 鶴川校舎で「考古学概説A・B」、「考古学」、「日本史概説A」、「国史概説」、「考古資料
を読むT」を担当し、世田谷校舎では「考古学演習T・U」、「国史概説」を担当している。演習は1学年5〜6名で歴史考古学を中心とするが、しかし学生各自が決めたテーマであれば別に限定しない。なるべく時間外で酒学の場を多くもちたいと心がけている。

<研究テーマ 日本の古代瓦> 
 寺院に葺かれた瓦は飛鳥時代以降宮殿・貴族の邸宅・地方官衙でも用いられ現代に至っている。個々の時代と地域の歴史のある瓦に取り組んできた。韓国留学もそのルーツを求めたものである。現在日本考古学協会会員、韓国国立公州大学校博物館・同大百済文化研究所客員研究員。著書に『古代祭祀建鉾山遺跡』吉川弘文館 平成9年9月 編著、論文に「百済の鐙瓦製作技法について[T]―特に漢城時代と熊津時代を中心として―」『百済文化第30号』大韓民国国立公州大学校百済文化研究所 2001年12月「武寧王稜の蓮華文をめぐって―中国南朝墓・高句麗のそれとの比較―」『百済文化第31号』大韓民国国立公州大学校百済文化研究所 2002年12月 等、その他日韓の瓦に関する論文多数ある。